人生雑論ノート

その日その時なんとなく思ったことを書き散らすだけの、偏屈ド変人の思考垂れ流しブログ。

フリーゲーム『奈落の華』の感想色々

 こんばんわ。

 最近体調と気分のリズム的にストイックに勉強に向かいにくくなっているので、パーッとゲームしようと思ってやってみたゲーム。

「Freem!」様でダウンロードできる「てるふぉん」様作『奈落の華』です。

 一言でいうと、すさまじいゲームでした。

 

※ネタバレ配慮一切いたしません! もしプレイがまだの方は、ぜひとも一度ご自分でやってくださいませ。

 ※全体で4,500文字以上という、いつも以上に多めの文字数です。

お願いいたします!

 

  このゲーム、ジャンルは「ホラー」です。ちょっと驚かされるところもあります。

 追いかけっこなどが一切ないので、ゲーム音痴の私でもできそうだ、と思ってプレイさせていただいたのですが。

 

「あなたは地獄に落ちました」

 え? と思う言葉とともにゲームスタート。

 この言葉の意味は、ゲームを進めていけばよく分かります。

 が、このゲーム、プレイする方によって解釈がいろいろ変わるだろうな、とも思います。

 

 何度も書かせていただきますが、クリアしてくださいね?

 あなたはクリアしていますね?

 

 エンディングは三つ。作者様の推奨は「Normal・True・Bad」の順番でクリアすること。

 もちろんその通りにさせていただきました。

 エンディングが確定した後から本格的にストーリーが動き出すんですが、まずNormalで震え上がりました。

 主人公……! 怖い!

 『彼』が主人公に対して「誰?」といった時「ん?」と思ったのですが、今まで主人公だと思っていた人が別人で、見事に騙されました。

 が、それ以上に主人公がなんというか、すさまじく狂っている。

 ××××様は大喜びですが、真っ赤な世界の中でどんどん主人公のカルマが増えていくのが「えええ? あ、いやいや!」とパニックになりました。

 まさに地獄。ここが地獄。

 『彼』と地獄で一緒になるためにたくさんの人を殺し、天国に行くはずだった『彼』を引きずり落した。

 エンドロールでの最後の場面に胆が冷えたもんです。

 

 しかしはっきり言います。序の口です。

 主人公の怖さは、こんなことではないです。

 

 Trueだと一転したストーリー展開に。『彼』を地獄に落とさず、『彼女』の幸せを願った行動をとっている。

 このエンディングにて、『奈落の華』というタイトルも回収されます。

 なんか妙にきれいな終わり方。

 しかし、作者様は言っている。Trueで満足したものはBadをするなと……!

 ものすごく気になったので、もちろんBadもやりました。

 周回プレイしていると各場面やギミックの意味も理解できてくるので、ある意味怖さも倍増してきます。

 

 そしてのBad。これこそが『奈落の華』。このENDこそが『奈落の華』のすべての要素が詰まっているといっても過言ではない!

 

 このゲームから私が感じたのは「狂信」。

 信じる対象が何かとか、いるいないとかでなく、ただ「信仰」する。その信仰対象が自分の「信仰」に対して歯向かうなら、容赦なく殺す。

 主人公にとっての「信仰」というのは、対象すら必要のない、いうなれば「自分」さえいればすべて成り立ってしまうもの。

 Badの条件において、神様の名を入力しなければならない場面において、入力するのが「主人公の名前」という……。

 他のエンディングでは××××様の名前を入れるのに、ここでは主人公の名前。

 そして、××××様にとって手に取るようにわかるはずの地獄で、主人公は××××様に気づかれないように一瞬だが行動する。

 血に濡れたナイフ。神父を殺したナイフ。ある意味において父親であった神父を殺したナイフを手にとっても、主人公は特に反応しない。

 神父を「異教徒」として殺したことに対して、罪であると認識はしているのだろうけれど、意識はしていない。

 「異教徒」だと認識したら、基本的に殺す対象になる、という怖い人。しかも、主人公の「信仰」は結局中身がない。自分の「信仰」が脅かされるとき、主人公は信仰対象だった××××様を手にかける。

 彼女には、「信仰」しかない。信仰の中身は恐らく、何でもいい。

 だから、Badの条件は「主人公の名前」を神の名とすること、なのかもしれない。

 主人公は全知全能ではないし、ただの人間でしかない。しかし、それでも主人公の本当の意味での「神」はおそらく、主人公自身になってしまう。

 

 さて、このゲームの「Normal・True・Bad」というエンディングの分類ですが、これ、「誰にとっての」だと思われますか?

 私は××××様にとっての、ではないか、と思っています。

 このゲームの主人公は、××××様も含まれるのではないか、と思っています。

 その××××様にっての「Normal・True・Bad」なのだろうと思うんですよ。

 主人公にとっては、どのエンディングであろうとも同じですから。すべて己の「信仰」に殉じた結末でしかないわけで。

 そして、××××様が必要とし、信者としてでなく友達として共にありたいと思った存在に、あっけなく手にかけられる。その時に、ようやく主人公の「信仰」の正体を知る。

 Bad以外の何物でもないんです。

 はっきり言ってしまうと、××××様は「ピエロ」でしかないわけですね。主人公の「信仰」に踊らされた哀れな「ピエロ」。

 ただ「信仰する」以外に何もできない主人公は、ただそのためだけに生き、そのためだけに死ぬ。死んでからも「信仰」だけで存在し続ける。信仰対象を手にかけても、揺るぐこともない。なぜなら、ただ「信仰」のみが主人公の全てであるから。

 

 Trueにて語られている『彼女』との話も、このあたりを考えると「なるほど」と思えます。

 「信仰」さえあればいい主人公にとって、『彼女』のカルマを背負うことなどどうだっていいことなんでしょう。だからこそ、『彼女』の罪も自分が背負って地獄に落ちることにした。

 主人公が「信仰」以外に大事だったのが『彼女』だったのは、ゲームをやっていればよくわかることです。『彼』に対する狂愛? あれも結局「信仰」のためでしかないわけです。

 主人公の「信仰」の証明の一つとして使われたに過ぎないんですよね。ゲーム中では「恋をしていたのかもしれない」とありましたが、それは『彼女』が関わっていたが故のことです。おそらく『彼女』が関わっていなかったら、主人公はただの監視対象としか見なかったでしょう。

 ぶっちゃけ、『彼女』の「付属品」扱いです『彼』。

 「信仰」と『彼女』という存在によって「たまたま」特別視の対象になってしまった、ものすごく可哀想な人です。Normalでは。

 他のエンディングでは地獄に落ちていないので、たぶん大丈夫。基本いい人のようなので、順調に天国に行って死後も問題なく過ごせるでしょう。

 もちろん、そんなことは主人公にとっては、どうでもいいことですが。

 

 で、××××様。Badでは悲惨なことになっていますが、他のエンディングではこの方とっても幸せです。

 Normalではいろいろとハイ。まあ、理解できます。楽しくて仕方がないでしょう。

 Badにて、××××様は主人公に「笑ってほしい」「この奈落の華になってほしい」と言っています。主人公が本当に大事で大好きなのだろうということは伝わってきます。

 その主人公が、自分の信仰の名のもとに、一人の人間を永遠に不幸にし、地獄にあり続ける。そりゃあ、とてつもなく嬉しいし、楽しいでしょう。

 Trueではハイにはなりませんが、主人公のはっきりとした笑顔も見れるし、なんだかんだでものすごく仲がいいです。Badでの「友達になってほしい」という願いは、このエンディングで叶えられています。

 でも、私は実はBad以外のエンディングに対して、「これ、本当にこうなったのか?」と懐疑的でもあります。

 

 Badの条件と二つのエンディングを見て、

「このゲームは主人公の妄想の世界なのでは?」

 という考えが浮かんできたんですよね。

 ××××様が本当に存在するのか、しないのか。主人公の「信仰」が生み出しただけの存在じゃないのか?

 実際に、××××様は「主人公がいないと自分は力を使えない」的なことを言っていたようにも思います。

 実際、生前の大量殺人も、『彼女』たちを逃がすのも、主人公自身が行っています。

 ゲームでは死後の世界が舞台となっていますが、基本的に主人公の記憶からつくられたような世界です。

 とはいえ、××××様がただの妄想の産物であろうが、実在しようが、そこにこだわる必要自体はないのですが。

 少なくとも、主人公の「信仰」によって××××様は存在していられる、力を使えるというのは間違いないようです。

 主人公の強烈な「信仰」によって、××××様は声を届けることができるようになった。それまで存在を本当の意味で認識されていなかった。存在できるようになったのは主人公のおかげです。

 だから恩返しをしたかった。そのために『彼』を地獄に落とそうとした。

 しかし、主人公からしてみれば、××××様がそう言うのなら、という程度でしかなかったりもします。

 このあたりでそもそもかみ合っていない。かみ合いようもないですが。

 

「異教徒は、殺さないと」

 神父を殺した際、主人公はただそう言って殺しました。自分を「信仰」以外に何もない人間に育てた父親ともいうべき存在を。

 同じ言葉を、××××様を手にかける際にも、言う。神父を殺したのと同じナイフでめった刺しにしながら。

 つまり主人公にとって、神父も××××様も同じ、ということなんでしょう。

 主人公の「信仰」によって殺された人は多くいますが、「信仰」以外に何もない主人公にとって、本当にどうでもいいことなんですよね。

 ××××様も、主人公の「信仰」の犠牲者の一人、ということでもある。

 村では××××様を信仰して生贄をたくさん殺しましたが、それも結局人間自身がやったこと。××××様は何もしていない。

 人間が、「信仰」の名のもとに、人間を殺していく、という状態なんですね。

 

 で、Bad以外のエンディングに対して懐疑的という部分なんですが、これ、主人公が自分の「信仰」に都合がよい状態にもう一度やり直した結果じゃないか? と考えています。

 Badにて××××様を殺したときに、

「あなたは地獄に落ちました」

 というセリフが出てくる。

 誰のセリフ? あなたって誰?

 この地獄の神は、主人公です。「神の名」に「主人公の名前」をいれても問題なかったということは、そういうことです。

 自分の「信仰」にとって都合のいい××××様を作ったのか、単純に××××様が気に入るように時間を戻してもう一度やり直したのか。

 そして、理想的な××××様がNormal。××××様の望みを叶えた結果がTrueということではないかと解釈しています。

 そうなると、Normalの『彼』もまた、作り物かもしれない。理想的な地獄のために必要だったから。

 そうであるならば、『彼』はそれほど可哀想ではないかもしれない。

 あるいは、『彼女』を救える、救えた人であるから、好きだったのかもしれない。

 結局は『彼女』ありきなんですけどね、『彼』。主人公にとって。

 

 この主人公にBadはない。NormalもTrueもない。ただ「信仰」があるのみ。

 

 背筋が凍る……! 作者様天才か!?

 では異常で、じゃない以上で『奈落の華』の感想を終わりにしたいと思います。

 まさか、未プレイでここまで読んじゃった方はいらっしゃいませんよね?

 その方には今すぐに『奈落の華』をプレイする刑に処します。

 では、お疲れ様でした~。

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