人生雑論ノート

その日その時なんとなく思ったことを書き散らすだけの、偏屈ド変人の思考垂れ流しブログ。

大学生の時に「闇と光の関係」について考えたことあったなあ、と思い出しただけの話、のつもりでした。

 お久しぶりでございまーす。

 風邪を引いてそのまま咽頭炎ダッシュ、かなりの期間セキとノドイタのせいで寝不足、その他もろもろ大変でしたです。

 職場の方には「痩せたね」って言われましたよ。あんまり食べられませんでしたからねー。

 

 で、今回は大学生の時に考えた、「光と闇」について、ちょこっと書いてみようかなっと思います。

 壮大な感じしますが、全く壮大じゃないです。多分すぐ終わる。

(と思ったけど、考えていたほど短くならなかったです。どうでもいいこと書き加えるから)

 

 

 そう、大学何回生の時かまでは覚えていないですが、恐らく1~3回生くらいだったような気がする!(絞れてない)

 特に普段と変わりなく、バスと電車を乗り継ぎ、お店も民家もあんまりない山の中のキャンパスへ、急な坂道を登りながら向かっていた時です。

 

「今のこの状態は光と闇が丁度半々くらいの状態なんだろうな」

 

 こんな考えが急に頭に思い浮かんだのです。どうしたんだ私。坂道が急でしかも長いから疲れたのか?

(学生にも先生方にも不評の坂道。一部の先生方はもう自力は諦めてタクシーです)

 午前中だったかと思います。恐らくその日最初の講義の時間帯。天気は晴れか、曇り、ではなかったですね。晴れでしたね、多分。

 

 私の頭のなかでは、物が見える、イコール光と闇がいい感じに中和されている状態。

 夜は闇が強い状態。太陽を直視した状態は光がものすごく強い状態。

 昼と夜の状態から考えて、基本的に普段は闇と光の関係って、「闇>光」?

 ものが程よく見える状態から見えない状態に移行し、そしてまた程よい状態へ、というのが繰り返されるのが基本サイクルのため、光が強すぎるよ! という事態には基本的にならないためそう考えたのかなー?

 

 光と闇って本質的には一緒か?

 や、ちがうなあ。太陽って直視したら痛いじゃん? 危険じゃん? でも闇直視したところで特にダメージないじゃん?

(視力悪化とかは中途半端な状態だと思うので考えない。いや待て?

 中途半端な光で視力悪化なら、やっぱり光有害じゃね? と今思ってしまったです)

 闇を直視ってなんやねんって感じですが、ようするに何も見えない状態ってことです、はい。

 

 ものを見るには光が必要で、しかし私達の生活においては光って割と凶悪ですよね。

 もっと光を! という言葉がありますが、あり過ぎダメ、ゼッタイ、なものであると考えると複雑ですな。

 酸素もそうですよね。生きていくには必要だけど、基本的には毒です。

 まあ。生きていくって大変ね! などとフザケてみますが、シャレにならないですよね。毒吸ってないと生きられない、直視したら危ないものがないと見えない、普段毒だと思わないけど本質的には危険物に頼って生きている。

 

 どっかで聴いた歌に、

「足枷あっての自由よ。生きてるって不自由よ」

 というのがあった気がしますが、こういうことにも当てはまる歌詞やなって、今思いました!

 この歌詞はこういうことを言っているわけじゃないのはよく分かっているんですけどね。

 

 光と闇はそれぞれ、どちらかしかない状態では何も見えない状態になるわけですね。だから本質的には一緒なんじゃろか? と考えたのですが、あ、違うなってなりました。

 闇って何もないから闇なのであって、光ってなにかがあるから光るわけですし、やっぱり真逆なんでしょうかね?

 いや、全くなにもないわけではないのか。宇宙誕生の際、なにもないところからビッグバン的な何かが起こったわけではないらしいですし。(そうテレビで前見たんですが)

 光に関しては目が「それ」をキャッチしているから見えるんですよね、確か。

 闇は特に何もキャッチしてないから、少なくとも「見る」ということから考えるとないと考えていいのかもしれませんね。

 

 わー、不思議。どうして「見る」という行為に関して選ばれた要素が「光」なんでしょうねー?

 逆に「闇」だったら、私達の「見る」ものは何か変わっていたんでしょうかね?

(闇を「見る」とかバカじゃね? と言われる覚悟はできている!)

 生きていくのに必要なエネルギーを「猛毒」の「酸素」に求めているし、視覚においても実は「超危険」な「光」が選ばれている。

 何でわざわざ茨の道を選ぶのか、「生命」。

 や、生きていくのに最も適したそれらがたまたま「毒で超危険」だっただけなのでしょうけど、それ故に「死へと向かう」ものであるという皮肉。

 生きるために死にに逝くんですよね、全力で。(誤字じゃなくてわざとです、逝く)

 生まれたときから、と言いますか生まれる前というか生まれることが決まったときから、誰であろうとその瞬間から常に全速力で、ノンストップで「死」に一直線だなんて、矛盾もいいとこだなって今思いました。

 「生まれる命」は必ず「生きる」為に「死にに逝く」。逆転させたら「死にに逝く」為に、「生きる」。

 つまりどのみち「生まれたら死ぬ」。

 生きるって出来レースですね。

(そして多くの方が「生命とはなぜ生まれるのか」に頭を悩ませるわけです。どうせ死ぬのに生まれたって意味ないじゃん、的に)

 

 そう考えると、逆にうまいことできてるんですね、「酸素」と「光」。

 生きるために毒を飲んで浴び、迷うこと無くそのままゴール! うってつけすぎる。

 あれ? 鶏と卵みたいなことになってる気がする?

 そもそも「大学生時代のアホい考えを書こう」と思って書いたら変な方向に走っていました。

 いつものことか。

 

 ちなみに、「光と闇」の関係から考えた物語の設定とか無駄に考えて遊んでました、昔。

 こんな設定です。(アンダーラインの部分)

 

 本来暗いはずのところ(建物の中、トンネルなど)は暗くなくて、逆に光が溢れているから通れないし入れない。普段生活しているところは平気だけど、鍾乳洞みたいなところはもうアウト。光に目がやられるためどうしようもない。

 昔は洞窟の中とか暗かったからランプとか使えば通れたけど、光で満ちまくった空間をどうにかする方法なんてない。

 大昔は光の神様と闇の神様が仲良くやっていたけど、闇のほうが若干世界において配分多めなのが気に入らない光の神様が、闇の神様追い出しちゃったという話です。でも完全に世界から闇がなくなったら色々まずいので、海の底に避難して闇の神様超頑張ってる。だから海の底はちゃんと暗いんですよ。でも光の力が強くなっていて、本来暗いはずのところが光オンリーになり、このままだといろんな生命が暮らしていけなくなる、ヤバイ!

 

 みたいな話です。改めて設定見ると「黒歴史」で笑えます。

 

 久しぶりに書いて面白かったです!

 これを読んだ方が、

黒歴史(笑)、ぷっ」

 とかなったら本望です。

 

 でわでわ~、メリークリスマス!(ぼっちなう)