人生雑論ノート

その日その時なんとなく思ったことを書き散らすだけの、偏屈ド変人の思考垂れ流しブログ。

『細胞神曲』におけるとある妄想 その2

 こんばんは。

 今回も『細胞神曲』の妄想を繰り広げていきたいと思います。

 よろしくお願いいたします。

※『細胞神曲CoE』至高天到達済み、及び『磯井実光の記録』一応ざざっと完走済み。ネタバレ配慮一切なしです。

 

 というわけで(?)『細胞神曲』感想のリンクです。

zaturon.hatenablog.jp

 妄想ですよ。これは妄想ですよ。

 大事なので2回言いましたよ?

 改めてよろしくお願いします。

 

 

 さて、今回も頑張って妄想していきたい。

  今回はとある人物について少しだけ書いてみようと思う。

 嘉納扇である。

「真っ向からアカシックレコードに反逆する男」

「存在自体がアカシックレコードに対する冒涜」

「神に見捨てられた男」

 彼を表すならこういった言葉だろうか。

 さて、嘉納扇の上記の事柄について書くのなら、その前提となるあることについて書かねばなるまい。

 いきなりだが質問する。下記の二つは一つの記録の中で両立できるか。

「阿藤春樹は熊崎花蓮に追いついた」

「阿藤春樹は熊崎花蓮に追いつけなかった」

 『細胞神曲』CoEのとあるイベントである。あの状況で考えてほしい。両立できるだろうか?

 答えは簡単。できない。一つの記録(レコード)において、これら二つは矛盾する。同時に存在などできない。

 しかし、CoEにおいてこれらの存在は両方ともある。では両立しえるのか?

 不可能だ。本来不可能だ。さらに言うなら、絶対的な世界の記録などと言われているアカシックレコードを想定するならば、あってはならないことではないか。

 歴史年表において、関ケ原の戦いの勝者が変わるとでもいうのか。

 人間が調べ推測した内容が変わることはおかしくないが、アカシックレコード、超越存在である神の愛たる絶対不変の真理が、そうコロコロと変わるなどあっていいのか。

 もしそうであるならば、そんなものをアカシックレコードなどと呼べるものだろうか。

 などと語ったところで、嘉納扇である。

 妄想その1にて、嘉納扇のイベントは起こしてもいいし、起こさなくてもいいと書いた。そう、嘉納扇のあのイベントを起こした場合と、起こさなかった場合の両方で、喜劇はちゃんとエンディングを迎えてくれるのである。

 まったく異なる二つの「正史」が出来上がるのだ。

 嘉納扇のイベントは、存外にいろんなところで影響する。

 例えば、相場伊吹との会話にて、嘉納扇のイベントフラグが立っているときと立っていない場合で会話が多少異なる。

 榎本のあとの最後の戦いの際、イベントを起こしていると倉知輝美が銃によって能力を発動し榎本のあを撃つ。起こしていない場合、彼は榎本のあを攻撃せず、周りのベイビーたちと戦う。と、これは嘉納扇イベントを起こしていない状態でのBと、起こした状態でのA以降の榎本のあ戦によるので、注意願いたい。

 イベントを起こしていると呪われる。起こしていないと呪われない。

 さらに、私は嘉納扇のイベントを起こしたデータでDLCを一応は完走したが、その中で阿藤春樹は「自分は呪われている」と言う。

 嘉納扇のイベントを起こしていない状態でDLCを完走していないため確認はできていないが、恐らく、イベントを起こしていない場合阿藤春樹はこのセリフをDLCで口にしないのではないか。

 確認してから書けよ、と言われるかもしれないが、とりあえず書くだけ書いておいてあとで確認するつもりである。申し訳ないがご容赦願いたい。いつ確認できるかは未定……。

 また、どちらの場合でも「呪われている」と阿藤春樹が口にしたらしたで、実は大問題なのだ。明らかに矛盾するからである。

 また、DLCにて「呪われている」と口にしたしないに関わらず、CoEにおける各キャラクターたちの行動自体はどうあがいても変化している。まったく違う行動をとった結果が両方とも「正史」として扱われることになるのである。

 絶対不変の世界、宇宙の記録が、まったく異なる二つの「正史」を記録として残すのか。あの時あの場所で嘉納扇と阿藤春樹が会話したか否かの、単純にそれだけでも大きな違いだというのに。

 初鳥創は「すべては神の愛」と言った。この世界のすべては神の愛によって定められているのだと。

 で、嘉納扇は? 彼は定められていないのか?

「真っ向からアカシックレコードに反逆する男」

「存在自体がアカシックレコードに対する冒涜」

「神に見捨てられた男」

 そんな彼の、『細胞神曲』における重要な名台詞で、今回は終わりにさせていただく。

 「現実においてフラグなんて回収されないもんだからね。あんなものはお芝居の伏線でしかない」

 

 というわけで、今回は終わりです。

 お疲れ様でした~。

 

鱶尾工業(ふかおこうぎょう)様の公式Twitterにて、嘉納扇イベント発生したのを前提に話が進むとありました。確認不足でした。

 上記の妄想は妄想というか、一種のお遊びなのでたいして気にしている方もおられないとは思いますが、念のため。

 ……このお遊び的にツッコミ入れるべきかな?

zaturon.hatenablog.jp