『細胞神曲』におけるとある妄想 その1
こんばんは。
今回は鱶尾工業(ふかおこうぎょう)様制作、『細胞神曲』について、テキトーに妄想を書いていってみようと思います。
※『細胞神曲CoE』至高天到達済み、及び『磯井実光の記録』一応ざざっと完走済み。ネタバレ配慮一切なしです。
よろしくお願いいたします。
もう一度書きますが、ネタバレ配慮なしで、割と好き勝手に書きますのでお気を付けください。ただの妄想です。
では、改めてよろしくお願いします。
ということで、今回書いてみたいことだが、『細胞神曲』において語られる記録についてである。
『細胞神曲』世界ではアカシックレコードなるものが存在するとされる。
せっかくなので、これに対して疑問を呈してみる。
「本当に『細胞神曲』の世界にアカシックレコードが存在するのか?」
まず、私個人としては「アカシックレコードは一応現時点で存在する」のだろうとは考えている。
そしてこれを前提として、さらに疑問。
「この世界にアカシックレコードは、元々存在していたものなのか?」
「え? バカじゃね?」 と思った人は特に問題ないので読み進めるなり止めるなりしていただきたいし、「付き合ってやろう」という人はお付き合い願いたい。
実は私はCoEをプレイしている中、ふと疑問に思った。
「阿藤春樹のスペックを考えた場合、普通にSルート行くのでは?」
このゲームにおいて、エンディング、というか到達点は複数ある。しかし私が疑問に思ったのが、それぞれの到達点における阿藤春樹の、行動の拙さである。
私は最初に到達したのがEなのだが、はっきり言ってそれは私だからである。阿藤春樹とは何者か。探偵である。しかも探偵として優秀である。そして、探偵事務所の心得からして、私がEに到達した際の行動を、阿藤春樹がとるのかという疑問が出てくる。
無論これでは弱い。どころではない。なのでさらに何か書いてみる。
このゲームのクリアにおいて、嘉納扇のイベントは起こす必要がない。ぶっちゃけ、私は最初カードを取得した後、ついうっかりすぐに嘉納扇と再会してしまった。が、これは単純に運な気もする。プレイヤーによっては心配だからとか、会話したいからという理由で真っ先に探すかもしれないし、単純に探索した結果フラグをつぶしてしまうかもしれない。が、嘉納扇のイベントが発生しなくても特に問題なく喜劇は進む。しかしイベントを発生させると、阿藤春樹の人を見る目がいかなるものか、というモノを否応なく見せつけられる結果となる。
ちなみに嘉納扇のイベントのフラグ自体は、とても簡単である。そして、あのイベントにてプレイヤーは一切の操作をする必要がない。選択肢などないのである。だからこそ、阿藤春樹の実力を、その本物の力を見るには、実はうってつけのイベントでもある。
それから考えると、やはり作中の阿藤春樹の行動、思考がふさわしいのはどう考えてもSである、と思うのだが、いかがだろうか?
ルートごとの違いを見るのに最適なイベントは、磯井麗慈救出イベントの独房における、阿藤春樹と磯井麗慈の会話である。とくにAとSの違い、このあたりはかなり顕著ではなかろうか。ちなみにそれより下のルートの阿藤春樹のこのイベントでの言動は、割と論外な気がする。
また、チャプター7にて、首のないネズミは一定以上のルートでないとほぼ現れないのだが、阿藤春樹がネズミを見る見ないの条件は、そもそも何か。
ゲームだろ、のツッコミ良くわかる。その通りだが、そうではない。
例えば、ルートが一定以下の場合、阿藤春樹の精神状態はかなり悪い。ならむしろ、首のないネズミを一層よく見るようになるはずではないか? あるいは、そんなもの関係なく見るのではないのか? また、一定以上のルートでないと現れない本も存在する。そう、ゲームである。ゲームなのだが、そうではない。
逆だと考える。本来あるはずのものが、削られていっているのではないか、と。
考えるための材料がなければ、考えようがない。つまり、材料さえあれば、考えられるのだ。
そう、本来というか、彼の実力、行動力、思考力、そして、本人気づいていないが実は倉知輝美並みの熱血漢という性質から考えて、阿藤春樹は基本問題なくS、というか、至高天まで一直線のはずである。
さて、ここまで来てさらなるツッコミが待っている。
「阿藤春樹が至高天に至ったのは、一度Sへたどり着いて光の輪を見たからなのでは?」
これに関しても、先ほどまで述べていたことと変わりないことを言う。
阿藤春樹は、最初から初鳥創に対して、オリジン継承を迫るだろう、と。
阿藤春樹は磯井麗慈がSで死んだからオリジンを継承しようとしたわけではない。彼自身の意思、意志である。それに関しては作中ではっきりと理由を断言している。
ではあの光は何か。SystemNHにて、Rosary Unlockと表示されるとおりである。
そう、ロックされているのだ。ロックされていて、至高天にたどり着けない、本来とるべき行動をとれないようにされているのではないか、と考えたのだ。
阿藤春樹は作中、「光の輪を見た」ということを口にするが、それは彼が本来の意思行動を取り戻すことができたことを意味するのではないだろうか。
つまり何が言いたいのか。もうお分かりと思われる。
アカシックレコードはもともと存在しない。あとから操作的因子付与されたものではないだろうか? ということである。
セオドア・リドルは言った。到達点の先に世界はない。
本来ないはずの到達点は、あとから付け足された継ぎはぎの結末でしかない、ということであり、「想像郷」の話は、ミスリードではないか? ということでもある。
というところで、今回は終わります。
お疲れ様でした~。