人生雑論ノート

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フリーゲーム『ナントカ三術将』感想色々 その肆

 こんばんは。

 「三條」様制作、フリーゲーム『ナントカ三術将』シリーズ感想、4回目です。

 よろしくお願いいたします。

※ネタバレ配慮は一切ございません。プレイ後にお読みください。

※スピンオフ作品『占択◇スクランブル』は未プレイです。

※『ニチジョウ三術将』はこの感想書き終えて『占択◇スクランブル』遊びつくすまで読まないと固く決意しております。

 

 『ナントカ三術将』シリーズ感想リンク集です。

zaturon.hatenablog.jp

 では、改めてよろしくお願いいたします。

 

 今回は「守影術士」(以下「守影」)について書かせていただこうと思う。

 基本的にゲーム中では「堅物」「真面目」といった評価を他キャラから受けており、プレイヤーも同じ印象を持つことになるだろう。

 また、自分が半人前であることを示す道具を「三術将」となるまで使用しており、目上の存在に対する敬意をしっかりと持っている。

 目上の者や高貴な者に対する腰の低い態度は一見すると美徳であり、確かに彼の長所である。しかし、この性格ゆえに彼は「兄」と敵対することにもなっている。

 彼は「兄」に対してとても辛辣な評価を下している。そのことを自覚もしており、不用意にその内容を口外しない慎重さを持っているが、「兄」本人を見る目だけは恐らくどうしようもなかっただろう。明らかに見下す、侮辱する視線を彼は「兄」にぶつけ続けていたのではないだろうか。

 さて、「守影」が「兄」に対して下した評価が「イヤな奴」とか「中途半端」などという意味合いのものだったと思われるが、そもそも彼は何をもって「兄」にこのような評価を下すに至ったのであろうか。

 あくまでも個人的見解だが、「兄」が守影術士として実力がない、という風には見えなかった。少なくとも、一つの町を守る者としての実力は有していたはずであり、守影術士としての役割を果たすに不足があるようには思えなかった。

 実際に守っていた町の人々ともうまく交流できていたようなので、一人前として立派に活動できているはずである。ここに裏のあるなしは関係ない。

 実力不足でなければ何か、というと、守影術士としての役割及びその性質と、「兄」の特性とが守影術士として見た場合かみ合わなかった、ということではないだろうか。

 しかし、また個人的見解を述べさせていただくが、攻撃を意識する「兄」の特性と守りを重視する守影術士の役割及び性質は、実際のところ相性が悪いわけではない。

 ゲーム内の話ではないが、製作者様のサイトにて、『ナントカ三術将』のマンガを少々読ませていただいた。そこでは「攻める思考の「兄」」という立ち位置がはっきりと示されている。「町を守るためにこちらから攻めて倒す」という行動はおかしくも間違いでもない。マンガ内での「彩喚士」のやり方ではかえって町に被害が出るだろう。マンガ内での「兄」の判断は正しい。

 ちなみに同じマンガ内で、「兄」が「町を守るために攻めて倒す」行動をとろうとした際、「守影術士とは?」という疑問を「彩喚士」が抱いているが、これは単純に「彩喚士」が「守るためにこちらから打って出る」という思考がないだけである。この際の「兄」の行動は間違いなく「守る」行動のはずだ。

 相手の行動、特徴を観察し、無駄なく確実に倒す。マンガ内での兄の行動を見て、やはり「兄」は攻撃性をもっと伸ばすべきだったのだろうな、と思った。また、『ナントカ三術将2.5』のおまけでは、守り一辺倒の守影術士でないことを誇っているようにも見えたので、やはり根本的に守りに重点を置く守影術士の考えが合わなかったのだろう。

 さて、ここで私がTwitterに投稿していた内容を載せてみようと思う。

  過去にこういうことを思っていたわけだが、「守影」が守影術士の伝統に重点を置いたのは、最初の方で述べた彼の美点が原因だと考えている。つまり、常に目上を立て自分は一歩引いた態度である。

 「兄」は特性的に守りのみに重点を置くのは難しいうえ、本人が性格的に攻めに転じやすい。というよりも、特に意識せずに行動した場合、どうしてもそうなる、と言った方がむしろ正しいのかもしれない。

 マンガ内での「守影術士とは?」というセリフから考えられるのは、基本的に守影術士という存在はあの場において「こちらから攻める」という思考にまずならない、ということだろう。あのマンガ内の描写を見るに、「兄」は特に守影術士としての立場その他に関して特に考えている様子は見られない。彼自身の思考の結果がマンガ内での行動として表れている。しかし、「彩喚士」の同僚であり伝統的守影術士である「守影」だと、まったく同じ状況下でどのように行動することになるだろうか。恐らくだが、「彩喚士」が最初にやろうとしていた行動のままになるのではないだろうか。少なくとも、「兄」のように相手を観察して特性を探り、打って出るという行動には出ないだろう、と思われる、が、実際のところどうであろうか。……あのマンガの「兄」ほどに清々しく倒そうとはしないとは思うのだが。

 また、『ナントカ三術将2.5』のおまけで、魔王様はあくまでも「守りを固めたい」という趣旨で「守影」を「三術将」と決めたわけだが、このあたりのやり取りにも守影術士という存在に関する考えが描写されている。守影術士をよく知る者ほど、「兄」の特性と守影術士としての能力を結び付けずらいのかもしれない。

 つまり、守影術士の伝統から考えた場合、「兄」は逸脱した存在であることは明らかである。あくまでも個人的な考えだが、「兄」を最も疎ましく思っていたのは、「守影」が常に目上の存在として敬意を払っていた守影術士の先輩方ではないだろうか。

 「守影」は常に目上を敬い、一歩引いた態度を貫いていた。「三術将」として選ばれるまで半人前であることを示す道具を持ち続けていた。いや、正確には三術将になってから、「彩喚士」とのやり取りの中で手放した。「三術将」になってもしばらくの間、所有自体は続けていたのである。

 驕らない態度で自分はまだまだ半人前であると戒め続けることはなかなかできないことであるし、こういう部分が「守影」の長所だが、同時に短所でもある。

 「守影」はあくまでも守影術士の伝統を誇り、守り続けていたのはこの行動から見て間違いない。偉大な先達に常に首を垂れるその行動は、場合によっては彼らの言葉そのものを何の疑問もなく呑み込んでしまう可能性も意味する。

 世に「良い子」と呼ばれる子供は、基本的にどういう子供だろうか? 大人の言うことに対して疑問を持たず、いうことをよく聞き、逆らわず、大人の望むように行動する、といった特徴があると考える。そして、「守影」はそういう子供だったのではないだろうか。

 そして、「兄」はそうではなかったのだろう。『ナントカ三術将2.5』のおまけにおいて、「兄」は「守影」に対して「いつもお前ばかりもてはやされて」という意味の恨み言を言っていた。『ナントカ三術将2.5』のおまけはあくまでも「彩喚士」の妄想でしかないが、ここで描写されていることがすべて無意味などということはないはずだ。『ナントカ三術将2』のラストバトルの時も、「天才だともてはやされて」と嫌味を言っていた。つまり、「兄」の恨み言は事実と考えていいのではないだろうか。

 「守影」は、大人の守影術士たちが「兄」の悪口を言うのをよく見聞きしていた可能性がある。というより、「お前はああなるんじゃないぞ」などと言い聞かせられていたかもしれない。だからなのか、もともとの性格なのか、ともあれ「守影」は守影術士として「真っ当に」成長したと思われる。そして、ある意味において「兄」へのあてつけとして、殊更に可愛がられていたのではないだろうか。

 世の中には、家庭において問題児が一人くらいいて、その問題児に手を焼いている、という現象がある。しかし、その家族がなんだかんだとまとまっていられるのは、その問題児のおかげである場合がある。その問題児に集団の「問題」を押し付け、それによって団結するのである。「いじめ」などにもみられる現象であり、この構造を持つ集団問題は多くあるので、わりと想像しやすいのではないだろうか。

 「兄」はこの「問題」を押し付けられた立場であり、それによってその他の守影術士たちが「真っ当な」守影術士であることを意識しやすくなる装置の役割を果たしていた可能性がある。

 ちなみに何らかの集団がこの特定の誰かに「問題」を押し付けることによって安定していた場合、その誰かに「問題」を押し付けることができなくなるとその集団は瓦解する。集団を団結させていた力がその「誰か」に対する反発、嫌悪感、恐怖などといった負の感情であり、「誰か」がいなくなることで今まで一定の方向に向けられていた負の感情がまとまらなくなってしまうからだ。あるいは、「こいつに対してこういう対応をしないと自分も同じ目に遭ってしまう」という、集団内の圧力が加わる場合もあり、「誰か」がいなくなるとその矛先を探さざるを得なくなる。

 「守影」はそういった守影術士内における「同調圧力」を、「兄」を見ることで否応なしに強く感じていたかもしれない。「もしかしたら、自分も「兄」のように扱われるかもしれない」といった風に。それを防ぐ手段は唯一つ、周りの大人たちが望む守影術士になることである。その場合、やはり「守影」は「兄」に対して嫌悪感を抱かざるを得ない。

 「兄」に対する風当たりが守影術士内では間違いなく強かっただろうと私は考えているが、「真っ当な」守影術士であるならば「兄」に対してそうすることは恐らく当然のことで、最終的に「守影」はもっとも「兄」に対してあたりが強かった可能性がある。周りの守影術士たちがそう望んだという可能性はとても強いし、そういう態度をとっていれば「守影」はそれはもう可愛がられただろう。逆にそういう態度でなければどうなるか、というのは「兄」という存在が証明している。

 以上の状況を考えたうえで「兄」への罪悪感があった場合、「守影」の「兄」への態度はますます硬化する。「守影」は「兄」が「イヤな奴」でなければならない。そうでなければ、諸々の状況が正当化できないのだ。なんだかんだと「守影」は「兄」のことを他人に話す場合、「兄」に対して悪い感情を強く向けている事実そのものは全く隠すつもりがない。詳しい話をあえてしないことで、聞く者にかえって「兄」に対する悪感情を意識させることに成功している、という見方もできる。

 しかし、視点を変えた場合、「守影」は「兄」についてたとえ嫌悪であったとしてもヒトに話をしたいのだろうか、とも考えてしまう。黙る、あやふやに煙に巻く、といった方法も取れなくはないのに、彼はわざわざ「イヤな奴」であることだけは相手にきっちり伝えるのである。「守影術士は笑顔の者以外、ウソをつかない」らしいが、ウソを言わずに隠すこと、誤魔化すことは十分可能だ。実際彼はゲームにおいて、ウソをつかずに相手を翻弄したことが何度かあるはずだ。

 あるいは、誰かに「兄」は「イヤな奴」であることを伝えることで、「兄」が「イヤな奴」であるという自分にとっての事実の強化につながる、かもしれない。

 そもそも「守影」は「兄」をどこまで自分自身の目で見ていただろうか。精神世界で「兄」は最初に「勝負だ!」と言った。「殺す!」「死ね!」「消えろ!」「倒す!」などといった言葉ではなく、「勝負だ!」と一番最初に言ったのである。私はこの時「あれ?」と思った。あの追い詰められた状況で、取り繕うこともできなくなったむき出しの精神の叫びが、その第一声が「勝負だ!」だった。

 恐らく、「守影」は「兄」を真正面からまともに見たことすらなかったのではないか? と考えたのはその「勝負だ!」という言葉からである。相手を否定する言葉ではなく、そもそも相手が存在しなければできないことを、彼は望んだ。結局「兄」の望みは真正面から「守影」と相対することだった。逆に考えると、真正面から相対したことは今まで一度もなかったのではないだろうか。つまり「守影」は、まともに相手を見ずに相手を否定し続けていたことになる。それは「否定のための否定」である。「兄」とう一個人の「中身」を見て、それに対して否定という行動を起こしていたのではなく、「兄」を「否定するために否定」し続けていたのだ。「中身」などどうでもいい、ということでもある。

 「中身」に対する拒絶、否認ならまだ納得もできるだろう。しかし、「否定のための否定」においては相手がどうであろうがどう行動しようがどうでもいい。否定という目的のために否定するのだから、相手の主義主張も、過去も未来も関係ない。当然、「今」の相手など一番どうでもいい。相手はただ否定されるためだけに存在する。

 「守影」の「兄」に対する否定は結局こういうことではないかと思える。「守影」は守影術士として一人前になるために、「兄」を切り捨てざるを得なかったし、その事実をそのまま受け入れることは恐らくできなかった。だがもしかしたら、いつまでも自分を半人前扱いしていた背景には、このあたりの事情が関係していなくもないかもしれない。「守影」が今まで「気持ち悪い」と言っていた術を用いて、それを愛用する「兄」と守影術士として相対した時、本当の意味で一人前になれた、ということなのだろうか。

 その代償は、「兄」の「楽園」からの永遠の追放だったのだが。

 結局「守影」は「兄」という存在がいて初めて個を確立し、一員前になることができたのであり、「兄」は最初から最後まで「守影」のための踏み台とされた、ということかもしれない。そしてその大きすぎる代償すら、支払ったのは「兄」だった。

 「守影」が失ったものがないわけではないが、「兄」はそもそも失えるものを得ることすらできなかったかもしれない。得る機会はあったが、「兄」はあくまでも「守影」にこだわってしまった。

 『ナントカ三術将3』で「兄弟は仲がいい方がよい」といった意味合いの言葉を口にするが、『ナントカ三術将2』での「兄」とのやり取りで、彼は自分自身に対し、そして「兄」に対して、どのような答えを出したうえでそれを言うに至ったのだろうか。

 

 というところで、今回は終わりとさせていただきます~。

 お疲れ様でした~。

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