こんばんわ。
「BLUE☆STAR」様制作『Witch's Heart(ウィッチズハート)』感想です。
よろしくお願いします~。
※ネタバレ配慮なし。プレイしてからお願いします!
※プレイの推奨年齢は15歳以上。
では、『Witch's Heart(ウィッチズハート)』感想記事のリンクです。
では、今回も張り切っていきまっしょ~。
……さてさて、記念すべき6回目、書かせていただくのは『Witch's Heart』の主人公、「魔女」である。
この「物語」の最大の被害者であり、生贄である。
彼女がいなければそもそもこの「物語」が始まらない。彼女こそが「物語」そのものであるとも言える。
さて、前回の記事にて、私は「魔女」は命の主体を奪われたのだと書いた。
しかし、一度だけそれを取り戻すことができた時がある。
『ボーナスステージ』にて、自殺した時である。
「ぶっ壊してやりましょう!」
彼女はそう言って自ら死んだ。自らの命の在り方をもてあそぶ世界への宣戦布告である。が、それを言い放った相手こそがその諸悪の根源ともいえる存在であることが、まったくもって皮肉である。
しかもその相手は、「魔女」のために「魔女」を殺すか否かで悩んでいたのである。
「あなたのためだ」と言われておとなしく殺されることを受け入れる人はあまりいないだろう。次があるから大丈夫、などと言われて納得できるはずもない。次があるからといって殺してよいのか、殺されることを許してよいのか、ということである。
「魔女」の命の主体をさも自分のモノのように語る「化け物(?)」にたいして、「魔女」がどう思ったのか、私にはわからない。
少なくとも「魔女」は誰かに殺されることを許容しなかった。己の手で死んだ。それはすなわち、「己の命は己のものだ」という主張であり、「化け物(?)」からの一方的な救済に対する拒絶ともいえる。
彼女自身がそこまではっきり意識したか否か、私にはわからない。だが、あの行動の意味はまさしくそういうことではないだろうか。
彼女は世界をぶっ壊すのである。あの理不尽でデタラメでエゴイスティックな狂った世界を、である。あの世界を作ったのは、望んだのは誰か。まさにその本人に対して、その世界をぶっ壊すと言い切ってみせたのである。
その世界を壊す。つまり、否定する。「魔女」は一方的で強引で押しつけがましい猟奇的狂気的な救済を拒んだのだ。
それによって、9,999回目にして、「魔女」はほんの一時的にではあるが、己が命の主体を己自身に取り戻すに至った。
逆に言えば、そこまでしなければ自身の命を己が手に取り戻すことができないという、絶望的な状況でもある。しかも、そこまでやってほんの一瞬でしかない。「化け物(?)」がまた繰り返せばその時点でまた命は「魔女」から離れていくのだ。
なるほどここが地獄である。
だが、それも次で終わる。どうあがいても次で最後である。
なら、その時まで待てば、この世界そのものがなくなるのではないか?
だが、それではだめだった。あの時、まさにあの瞬間そうしなければならなかった。
あの時しか、自身の主張ができないからだ。あのまま流されていれば、どのような形で終わっても、「魔女」の命はもはや「魔女」には戻らない。権利を主張しなければ、理解したあの瞬間に「自分のものだ!」と言わねばならないのだ。そうしなければ、自主的に己が命の主体を放棄することになる。
この世界が終わった際に、「自分の命だ」と主張したければ、あの時自殺する以外になかったのだ。
さて、そんな「魔女」だが、私にはいくつか気になる点がある。
これから先は滑稽な妄想になるが、良ければお付き合いいただきたい。
まず、第一作目のオープニング、ゲーム周回機能では見ることができない部分での話である。
「聞いてください」
……何を? 「魔女屋敷」での経験? 幼いころの記憶? 『魔女の心』の絵本について?
誰に対して? 誰と話している?
そもそも、あのオープニングはいつだ? 「物語」の後か? 前か?
『Witch's Heart』は作中にいるキャラがメタ発言をしてくることがあるが、それには意味があった。あのオープニングが、ただゲームが始まることを示すためだけのモノであるはずがない。何らかの意味があるはずなのだ、と私は勝手に思っている。
そして、彼女は「落ちて」いく。周回のたびに、プレイヤーは彼女が「落ちる」姿を見ることになる。
オープニングでも「落ちて」いた。この「落ちる」には、周回、繰り返し以外の意味がある。
そう、繰り返すのは「化け物(?)」ではないのか?
私は前回の記事で「化け物(?)」こそがこの屋敷の地獄をつくったのだと書いた。
しかし、ここで「落ちる」ことに目を向けてみると、「はて?」と思う。
繰り返しは「化け物(?)」が「心」で行うはずだが、この「落ちる」は「魔女」がやり直しの時間帯などを選んでいる。
「ゲームにそのツッコミは」と考えるかもしれないが、周回先を選ぶ方法自体、「ゲーム的」に考えれば他にいくらでもある。
ゲーム内における悪魔たちのセリフに、
「バカな選択をした。これ以上言えることはない」
「興味深い物語だった」
「え? 「物語」をやり直したい? それもアリだと思うよ」
といったものがある。「物語」自体の選択において、「魔女」の主体性が前面に押し出された言葉である。
さらに、おかしさを勝手に確信した場面がある。
『ボーナスステージ』、最後の一騎打ちの後である。
「時間はたっぷりあげる」
「化け物(?)」が「心」を使用することで屋敷の時間が繰り返すのなら、タイミングは「化け物(?)」次第のはず。
なぜ、「魔女」のタイミングを待てるのだ? 繰り返しは、まさか「魔女」次第だとでもいうのか?
さて、少々話が変わるが、私がよく見させていただいているとある実況で、あることについて言及された。
「「魔女」は悪魔になるのでは?」
私はそれまで「魔女」の悪魔化、ヘイター化について考えたことなどなかったので、それを聞いて「ふぁ!?」となった。
なるほど、フラグもたっている。
何らかのタイミングでヘイターとなるのでは? ということだったが、この考えに関して、思ったことがある。
すでに「魔女」がヘイターとなっている可能性、である。
『Witch's Heart』の始まりは、「魔女」の死である。その時に地獄に行っていたとしたら?
「聞いてください」
オープニングにて絵本である『魔女の心』の話をし、そして自分の話を聞いてほしいと言った。
妄想甚だしいが、この「聞いてください」が「自分が殺された時の話を聞いてください」であるとしたら?
『魔女の心』の話をしたのは、自分がそれによって殺されるに至ったということではないのか?
一回目、どのような方法で「魔女」が殺されたのか、具体的には分からない。あっさりだったかもしれないし、とことん苦しめられたかもしれない。
何か聞いたかもしれないし、聞かなかったかもしれない。何か見たかもしれないし、何も見なかったかもしれない。
さてさて「魔女」は殺された。しかし、「普通の人」はその願いをかなえることはできない。なら、残った「心」はどうなった?
「不老不死」はどうするだろう? 「魔女信者」はどうなっただろう?
まず、「魔女信者」は一回目でも殺されているだろうと考える。彼が寝ている部屋からでないと、契約書がある「ということにされている」部屋に行けないからだ。
また、「普通の人」が「魔女信者」を殺さない理由も特にない。邪魔だし殺しておこう、という風に殺された可能性が高い。また「魔女信者」は薬に対して耐性もあるため、十分に効かずかえって起こしてしまう。
一人残された屋敷の中で、「不老不死」はどうするか?
まさに惨劇。呪われた魔女の屋敷である。
この場合、生き残るのはただ一人。「魔女」を殺したただ一人である。
仮にあなたがこのような目にあったとしたら、誰に対して悪意を向けるだろうか?
私が何を言いたいのか、わかっていただけたと思う。
「物語」を選ぶのは「魔女」であり、結末を選ぶのも「魔女」である。
そもそも、これらの繰り返しを「物語」と呼ぶ、そのわけは何だ?
誰にとっての「物語」であろうか?
「魔女」にとって、ではないだろうか。
すでに死んだ「魔女」が、人間の滑稽さを嘲笑うための「物語」ではないか?
無論、「物語」において、「魔女」は何も知らず、ただ誰かに寄り添おうとする。過去を忘れ、その時その時で必死にあがいている。
だが、悪魔の存在がある。悪魔は記憶を消せる。意図的に自分の記憶を消していたら?
「時間はたっぷりあげる」と言った悪魔はどうだろうか?
では、彼女は「ラベンダー」と呼ばせていただこう。
「ラベンダー」は楽しいか否か、が判断基準だ。同じ純正悪魔の「バラ」は「不幸になるのが誰であってもかまわない」と言い放った。「ラベンダー」も恐らく同じだろう。結果的に楽しいか否か、なのだ。
彼女たちにしてみれば、自分が楽しめるか否かであり、そのために出来ることならなんだってするだろう。
「化け物(?)」が「心」を何度も使うのも都合がいいはずだ。楽しめるうえに魔力も得られる。しかも短時間で何度もだ。うれしい悲鳴も出るだろう。
それに、「魔女」の思惑があったとしたら?
もし仮に、人間としての自分が何度も殺されることすら面白がることができるのなら、あの一連の「物語」すべては最高の娯楽だろう。
実は、「魔女」がヘイターとなっているのではと考えるうえで、「魔女の母」と「魔女の祖母」の存在がある。
「魔女の母」はとある幻想空間で、化け物として存在しているのが確認できる。同じ小屋にいるのが誰なのかは意図的に名前が隠されているため分からないが、「魔女の祖母」の可能性はある。
これに関しては「魔女の母」の相手、「魔女」の父親ではないかという意見もあり、はっきりとしていない。
私は「魔女の祖母」の可能性を考えていたので、一応その流れで書かせていただく。
この流れの場合、「心」契約者は悪魔化しているのである。また、『ボーナスステージ』にて初登場のヘイターは、かつてのあの屋敷の主だったという。
『魔女の心』に「コペペ=ルネッサ」という人物が書いたものがあるが、あの話の内容こそこの「かつての主」のものだったのでは? と考える人もいるのではないだろうか?
つまり、「心」契約者だったのではないか、と考えている。
私個人の考えでしかないが、「悪魔の契約」を成した人間は悪魔化する、という法則があるのかもしれない。
その場合、当然「心」契約者である「魔女」は死ねば悪魔化するだろう。そう、一回目で。
その後、繰り返しの中で「人間として」「物語」を楽しむ、ということを選んだとしたら?
さて、また話を変えよう。「魔女」は「化け物(?)」に対して、恨みを抱いていても不思議でない事情がある。
「魔女の母」と「魔女の祖母」は「化け物(?)」の父親である「町長」によって殺されている。しかも、「魔女の祖母」に至ってはあらゆる災厄不幸に関する諸悪の根源とすらされている。
「魔女信者」も立場は同じではあるが、「化け物(?)」を恨んではいない。しかし、「化け物(?)」は「自分が恨まれていてもおかしくない」と考えていた。その通りである。
つまり、「魔女」が「化け物(?)」を恨んでいてもおかしくはないのだ。一回目で死んだ際にすべてを知って、その上で復讐を考えたとしたら?
彼女が死んだ際に得られる情報は、悲惨なものが多い。「普通の人」も殺す際にあまり手加減してくれそうもない。
それらの要素が合わさったとしたら?
また、過去の記事「その参」にて、「不老不死」は「魔女」の父親である可能性がある、とも書いた。それを前提とした場合、死んで地獄に堕ちてそれを知ったとしたら? もしかしたら、恨み憎むかもしれない。
「普通の人」も、「不老不死」も、「化け物(?)」も、様々な要素から考えると、「魔女」が憎む対象となりうる。
「魔女信者」は唯一その対象から外れるだろうが、もしかしたらヘイターとしての「魔女」からすると、関係ないのかもしれない。
ヘイターと化していた場合、「魔女」は一日一回、死んだときの苦しみを味わうことになる。
さてさて、「普通の人」はどのように「魔女」を殺しただろうか?
この繰り返しで、苦しんでいるのは「魔女」だと書いた。生贄だと書いた。
その舌の根も乾かぬうちに、私は全く逆を書いた。
しかし、どのみち共通しているところもある。
彼女がいなければそもそもこの「物語」が始まらない。彼女こそが「物語」そのものであるとも言える。
繰り返しは「化け物(?)」が成していることだろうが、それを利用しているのが「魔女」であるとしたら?
純正悪魔たちはそれを知っているとしたら?
ヘイターたちは知らないだろうか? 知っているだろうか?
「興味深い物語だった」
「え? 「物語」をやり直したい? それもアリだと思うよ」
このセリフはヘイターのモノなので、知っている可能性が高い。しかし、「魔女」がヘイター化している、ということを知らない可能性がないわけでもない。
「「魔女」の勝ちに、全部を賭ける」
「ラベンダー」はそう言った。それに対して、ヘイターたちは「魔女」の負けに全賭けした。
そしてそれに対して、「バラ」は「珍しいことをする」と怪訝そうにしていた。
「ラベンダー」の答えは、「一番見ていてハラハラする方に賭けた」である。しかし、重要なのは「何」をもって「勝ち」とするか、である。
考えようによっては、最終的にどうなろうが「魔女」の「勝ち」となる賭けである。
生き残る、だけが「勝ち」でもないのだから。
そして、私が今まで書いてきたことで考えた場合、どう転んでも「魔女」の「勝ち」となるのである。
「バラ」が言った「珍しい」が「特定の誰かの肩を持つような行動」という意味でなく、「勝敗が分かっているにもかかわらず」であるとしたら?
「ハラハラ」するのは誰であろうか? 「ラベンダー」はどう転ぼうと楽しいだろうが、根本的に「ハラハラ」するだろうか? 彼女は純粋に負けも勝ちも関係なく勝負事を楽しめるタイプだろう。
しかし、ヘイターたちの負けを確定させる行動、それをあえてとったとしたら?
「バラ」は「ラベンダー」を「訳の分からない奴」と言っているが、普段を知っているからこその言葉ではないだろうか。
「ラベンダー」は高らかに魔女と「魔女」に対して呼びかける。上記のことを前提として考えると、まさに「魔女」は魔女としか言いようのない人物となる。
「呪われた魔女屋敷」において、呪ったのは誰で、この魔女は誰だろうか?
『Witch's Heart』、魔女の心。絵本であり、願いをかなえる負の宝であり、「魔女」自身の心、である。
『Witch's Heart』は「魔女」自身の物語である。
さて、ここまで誇大妄想を繰り広げてみたが、お気に召しただろうか?
一つの可能性として考えるのもいいかもしれないし、純粋に笑うのもよいかもしれない。
というところで、今回は終わりますね~。
お疲れ様でした~。