人生雑論ノート

その日その時なんとなく思ったことを書き散らすだけの、偏屈ド変人の思考垂れ流しブログ。

人間を人間足らしめている一番の能力は「名付け」ではないか?

 おはこんばんにちは~。

 昨日、通販で届いた家具を必死に組み立てていたら、なんとな~く思い浮かんだことがありました。

 タイトルのことなんですけどね。

 ともあれGO! です。

 

  まず、今回の思考のもとになっている記事を紹介します。

zaturon.hatenablog.jp

 人間が今の文化文明を得たのは「名前」というツールを使いこなしたから。

 「名前」とは何か。「意味」である。

 普段話している「言葉」とは「名前」を並べたものであり、「意味」の羅列である。

 「名前」を組み合わせることにより、普段私たちは意思疎通を可能にしているのだ。

 

 などと、もっともらしいことを言ってみます。

 人間が基本的に力を入れて進化させていっている能力、技術は個人的には「意思疎通」にかかわるものだと考えています。

 現在どんどん発達していっている分野においても、「意志疎通」のためのツールが中心になっているのではないでしょうか?

 私最近Twitter(以前ツブヤイタンとか言ってました)とこのBLOGの連携をさせていただきましたが、この「BLOG」「Twitter」ってモロに「意志疎通」「コミュニケーション」のツールじゃないですか。

 携帯電話持って、スマホタップして、仕事ではメールだグループウェアだと色々選択肢があります。

 

 また、相手との「交渉」を有利にするための「武器」「兵器」も人間はいろいろ工夫して作ってきました。戦を有利に進めるための「戦略」も練り、自軍の強化に邁進しています。

 ちょっと話が変わりますが、ライトノベルキノの旅』で、銃器のことを「パースエイダー」と呼んでいますし、武力に訴えることを「説得する」と表現しています。

 また別の話ですが、米ソ冷戦時の映画をたまたま見た時、お互いの軍事力がぶつかりそうな中、政府の偉い人っぽい人がこんな感じのことを言っていた気がします。

「大統領達は「これ」(地図上の二国の艦隊を指して)で「会話」をしているんだ!」

 セリフ違うと思いますが、意味的にはこんな感じでした。

 

 自分の意見を通すために「戦う」という選択もし、そしてそれに対して「守る」「逃げる」という選択もあるわけです。「交渉」という手もありますが、相手が明らかに「戦う」ことを選択している中で何をカードにして「交渉」するかということになります。

 こういったことも「意志疎通」に含まれるわけですね。

 それを考えると人間が「武力」を発展させてきた経緯も理解できる気がします。

 

 人間は基本的には「意志疎通」を進化させていっていると書きましたが、「いかに自分の意志意見を伝えるか」という欲望は、現在においてもかなり重要視されていると思われます。

 そのために必要であると考えられる能力を、人間は昔からずっと伸ばしていたはずです。

 「武力」について書きましたが、これは一見すると「意志疎通」ではなさそうなものも「意志疎通」のための手段の一つとして人間が発展させてきた技術といえるのではないか? ということです。

 でも、「音楽」「絵画」「彫刻」などの芸術に関してなら「意志疎通」の手段の一つとして納得しやすいですよね?

 自分自身の意志の具現、伝えたい内容、表現したいという欲。和歌や随筆、小説などの文章を媒体にしたものも変わらないですし、就職のために履歴書を書いたり写真を撮ったりといったことも、「自分はここに入社したい」という意思を表明するためのものです。

 

 これらを可能にしているのが、私は「名前」であると考えます。

 正確には「名前を付けるという能力」でしょうか。

 人間最大の能力は「名付け」によってこの世に存在するすべてのものに「意味」を与えることではないでしょうか?

 「名付け」がそもそも必要なのはなぜか? というと、自分以外の者との「意志疎通」において、「名前」があると便利なのは言うまでもありませんね。

 また、「名前」とは言葉での表現以外のものも含んでいると考えます。「絵を描く」「歌を歌う」という「行為」も一種の「名前」と考えることもできるかもしれません。

 また私たちは知ってさえいれば「モナ・リザ」「ゴッホのひまわり」といわれればそのイメージが浮かびますが、それは「絵のイメージの方が名前になっている」と考えることもできるのではないでしょうか?

 

 物理的な武力における「戦略」、会社経営における「戦略」は同じ言葉ではありますが内容的には異なります。同じ「名前」を持っているそれらを分けるのは私たち自身の「イメージ」「思考」です。

 同じ文字、同じ発音であったとしても「Aの場合はAA、Bの場合はBB」と分けて私たちは「思考」します。その思考において使用されるのは「言葉」であり、「言葉」とは「名前」の集合体です。

 またしっかりとした文脈での思考ばかりをするわけでなく、「イメージ」によって物事を把握しようとする場合もありますが、それはその「イメージ」自体が一つの「名前」であるのかもしれません。

 また、「複数の名前の集合」の状態がうまく合一していない状態である、という場合もあるかもしれません。

「なんとなくイメージできるんだけど、喉元から出てこない」

 こういう状態になることがありませんか? それは自分の中でうまく「名付け」ができていないのかもしれません。

 

 新たな思考、思想、歴史的事件、新たに作った「何か」に、私たちは必ず「名前」を付けます。

 それによって私たちの思考において使用可能なツールになりうるのだと思います。

 そしてそうやって「名付ける」ことによりその存在を他者に伝えることが可能になります。

 「名前」によって思考し、他者との意思疎通を容易とし、今の人間の文化文明への進化発展を可能とする「人間」が出来上がった。

 そう、「世界は名前で溢れている」。

 人間がいる限り、「名前」は世に出続けることになるわけですね。

 そしてそれがゆえに、人間は人間としてあり続けるのだと思います。

 人間の歴史は「名付け」の歴史ともいえるのでは? とも考えます。

 

 人間とは、万物に名を与え意味を付与することを可能にした存在である。

 

 それっぽいことを最後に書いて、今回はこれで終わりにしたいと思います。

 お疲れ様でした! ありがとうございました!