人生雑論ノート

その日その時なんとなく思ったことを書き散らすだけの、偏屈ド変人の思考垂れ流しブログ。

『社会学』と『哲学入門』を読んで、あれこれ考えて結局何もまとまらない

 こんばんわ。

 現在『社会学』(アンソニー・ギデンズ著)と『哲学入門』(田中美知太郎著)を読んでいるのですが、やはり根本部分においては結構似てるよなと感じますね。

 出発点で考えると「哲学」から「社会学」が派生したと聞いたこともありますから、当然なのかもしれませんが。

※不確実でつたない思考で書いたので、いろいろ突っ込みどころありますよ。

 まとまらない中書いてますから、恐らく意味不明。しかしこういうのが一番楽しいんですよね。

 

 社会学の始まりは「産業革命」によってもたらされた各種の「激変」だと昔学びました。「産業革命」によってもたらされた変革は当時の「社会」においては驚くべきものだったようで、「『社会』ってもんをもっと知らんといけん!」と様々な人が思った、ということでした。

 当時、人々の働き方やら何やらがものすごいスピードで変化していき、同時にすさまじい「社会問題」も起こったようです。それによって病気なども蔓延し、「これらを引き起こす瘴気はどこから来るのか?」みたいなことも考えられていたようですね。

 いわゆる最下層の人が住む町から黒いもやもやしたものが発生している絵やら、死神が書かれている絵やらが当時書かれたらしいとも聞いた気がしますが、詳しい内容は忘れてしまいました。しかし、そういう絵が描かれた資料を見たことは覚えています。

 そういった「社会」について学ばねばならないという意識が生まれ、「社会学」もこと時くらいに作られ始めたらしいです。

 で、「社会学」において重要な人物の一人として、「オーギュスト・コント」が挙げられるのですが、この人物『哲学入門』にもしっかり登場します。

 「社会学」初期の重要人物であり、大学では「創始者」とも聞いた記憶があります。

 

 話は変わりますが、『哲学入門』は「哲学とは何か」ということが書かれていて、各専門科学が先鋭化していく中で切り捨てたものを「具体的」に考えていくものでもある、ということも書かれています。

 先鋭化する中で切り捨てられたものは、それ故にほかの要素が入った場合を想定していないこともあるそうです。五羽の鳥がいて二羽を撃ち落としたら残りは三羽、というのが数学的でも、その三羽は普通逃げるでしょ? という部分で、こういう「具体的」な部分は数学は想定していない。ほかの学問でもそういった「先鋭化、専門化していったがゆえに切り捨てられた『具体的』な部分」を、哲学は取り扱うというか、全体を考え、全体を通してみるものである、という風に考えることもできるのではないか、という風に書かれている部分もありました。

 専門化学=抽象的、哲学=具体的、というイメージだそうです。

 まあ、実際に読んでいただくと「いやそれは違う」となると思いますし、この本はそこからさらにいろいろな可能性、考え方をどんどん書いていってます。

 そういった中に「そも科学とはなんぞや」「科学史とは?」という命題も出てきます。「科学史」の部分でさらっとですが、「オーギュスト・コント」の名が出るわけです。

 コントは「哲学者」でもあり、また他の「社会学における重要人物」には「哲学者」がかなりいるようです。

 

 個人的に思うのは、「社会とは何か?」という問い自体が、ある意味「哲学」しているとも言えますし、「社会」という存在を規定する作業・思考自体が「哲学」じゃないかともいえる気がするんですよね。

 「社会」というものをどのように定義するのか、それを定義づける、研究・分析するというのはそもそもどういうことなのか? という部分。

 「五羽の鳥のうち二羽撃ち落としたら残りは?」において、「社会」という観点から見たら「三羽」という答えにはならず、そこに「社会的」な解釈を求められると思うのですが、では「社会的」ってなんやねん? という風になっていきそう。

 「哲学」とは「考えることそのものだ」と昔習いましたが、「社会学」もそういう部分ありますよね。命題となる「なにか」を最初に考える、「これは何?」と考える「思考力」「想像力」が必須となるわけですが、数学とか物理学とかとはちょっと違う部分になるんですよね、恐らく。

 もちろんそれらの学問にも「命題」となる「なにか」を考える「センス」が必要不可欠なのでしょうが、「社会学」はそれを「人間の営みそのもの」からとってくるって感じになります。多分。

 「社会学」に必要なのは「問題を見つけ出す能力」って昔聞きました。「哲学」も恐らくそうですよね。

 

 哲学は「死とは何か」「生きるとは何か」みたいなことも考えるし、もっと違うことも考えるわけです。それこそ、その辺で目にしたことすべてが「哲学」たりうるわけですね。

「なぜ人間は今現在このような「雇用」という形をもって「仕事」などということをしているのか」

「言葉を得たということは結局どういうことなのか」

 とかも多分当てはまるかと。それを「社会学」的に考えた場合とではどのような違いが出るのでしょうね?

 「歴史」「地理」条件で考えてみるなど、現時点でも様々な「答え」「考え方」があるわけですが、それらは「社会学的」「哲学的」だと思いますか?

 それらを考える際にどのような「思考」「分析」をしているか。いろんな分野の知識は無論いるでしょうし、そういった「作業」において必要な部分がもしかしたら「哲学的」「社会学的」なものが担っているのかもしれないですね。

 

 そもそも人間が「社会」というものを「想定」して動く、考えることができるっていうこと自体を「問題」として「哲学」するとかも出来そう。上記しました「産業革命」時、「社会学」を必要としたということ自体がある意味すごいことですよね。

 「産業革命」の時に起こった諸問題を「哲学者」などが考え「社会学」が生まれたということは、「社会学」はそも「哲学の命題」だったということでしょうかね?

 ちなみに「社会学」が何たるや、というのは昔からかなり苦労している問題みたいです。私も説明し辛いです。「つまり何?」とよく言われる。

 私の説明がまずいだけですが、私に関しては。

 

 『社会学』『哲学入門』どちらもまだ読み終わってないし、全然理解も及んでないですがとにかく「面白い」とは言えます。

 そして思うのが、「めっちゃ本いろいろ読みまくる必要が、やはりある!」ということ。大変だわ。

 

 とりあえず、今回はここまでで。

 グダグダくだらないこと書いてただけですが、「なに?」と思われた方はぜひ手に取ってみてくださいね!