人生雑論ノート

その日その時なんとなく思ったことを書き散らすだけの、偏屈ド変人の思考垂れ流しブログ。

『フラット化する世界』つながった場合とつながらない場合

 こんばんわ。

 いろいろ忙しかったんですが、一息ついたのでまた読み進めます。

 「フラット化」において重要なのは「ネット環境」っぽいですが、そこから外れた人の想定はあまりしていないのかな?

 

  ネットがあれば地球の裏側の人たちに仕事を依頼することができる。自分たちが眠っている間に仕事がある程度進んでいるのは確かにすごいですよね。

 しかし、ネットがつながっていない地域に関しては「フラット化」できないことになりますし、やっぱりネックは「言語」だよなと改めて思いますね。

 著者の方は「英語」を使い、著者の出身国が積極的に仕事をアウトソーシングしている相手はやっぱり「英語」が使える人たち。この「世界がフラット化している」感覚は、ある意味「英語圏」「英語が苦もなく使える」人たちだからこその感覚ともいえる気がするんですよ。

 いや、ほかの言語においてももちろん進んでいっていますが、やはり「英語難しいんじゃあ!」意識が強い日本人にはむつかしいことだと考えますね。

 すべての日本人が「英語苦手」では決してないんですが、多いとは思います。英語をわざわざ学ぶ必要がない状況でもあるため、進んで学ぼうとしない人も多いですし。

 

 また、世界各国で「ネット環境」が普及しまくっているわけでもないですよね。「インターネット? なにそれおいしいの?」はたくさんあると思いますよ。

 基本的に『フラット化する世界』における「フラット化した世界」の構想は、「ネット環境」および「意志疎通の容易さ」が前提となっているみたいです。

 その両方がない状態であるならば、「フラット化した世界」を享受しようがないわけですよね。

「世界はフラット化していっている。すごいことだ」という考えはよくわかります。しかし、そのための前提がそもそもつくられない環境においては「フラット化しようがない世界」ということにもなってしまうわけですね。

 

 私は個人的にネットで情報をちょっと集めたり、漫画を読んだり、そしてこの記事をアップロードしてどなたかに読んでいただいたりしているわけです。しかしこれはあくまでも「日本語」。「日本語」が理解できない方はこの内容は全く分からないわけですが、それは「フラット」とはちょっと言えない気がします。

 そして私も「日本語コンテンツ」以外のものは利用できません。日本語以外が理解できないので、せっかくネットにちりばめられている「日本語以外のコンテンツ」はやっぱり理解できません。

 とても良い情報、魅力的なサイト様など、たとえ「英語」が理解できれば利用できるものであろうとも、私が「日本語しか理解できない」状態のままであるなら、そこにあろうとも意味がない状態になります。

 あくまでも、私個人にとっては、です。

 このあたりも「フラット」ではなく「デコボコ」を感じますね。

 「ネット環境」があったとしても、「言語」によって「フラット化できない」状態の、一つの例だと思います。

「情けねえな」

 返す言葉もございません。やっぱり勉強必須か~。でも、必死にはいつくばって「英語! えいご! E・I・GO!!」にはならないんですよね。なくても生きていけるから。

 

 あと、情報に容易にアクセスできればすべてそれが「フラット」なのかどうか、私にはわかりません。容易につながる、意思疎通できる、仕事のシェアもできる、素晴らしいです。でも、それ自体が「フラット(平ら)」ということなのかな?

 

 自分一人で勝手に物事をむつかしくして言っていますね、私が。

 相変わらずの不良読者っぷりです。ふふふ……。

 というわけで、今日はこのあたりで。

 おやすみなさ~い。