人生雑論ノート

その日その時なんとなく思ったことを書き散らすだけの、偏屈ド変人の思考垂れ流しブログ。

『フラット化する世界』のフラット(平ら)って、壁とかは想定しているのかな?

 こんばんわ。

 今日は読めなかったですね。たいして暑くもないのに熱中症をおこしたみたいで、ダウンしていました。

 色々あって疲れているからかもしれませんね。

 

  で、『フラット化する世界』ですが、昨日ちょろっと書かせていただきましたね。

 「世界って結構デコボコじゃない?」というのが一つ。

 あと一つが、「フラットであっても向こう側まで目は届かないんじゃない?」ということです。

 

 ふと思ったのが、世界が「フラット(平ら)」であったとして、とある一定区間だけで「壁」とかがあって区切られているというのは、どう? ということです。

 いや、「壁」がある時点でフラットじゃないよねとは思うんですが、一定の「場」を区切るものってやはりある気がするんですよね。

 個人的にわかりやすいものが言語だと思います。とてつもない「壁」です。言語が違ったらそれだけでもはや隔たりとかいう以前に未知の世界、異次元ですから。

 「英語の壁」「日本語の壁」とか、なんかありそうですね。日本人英語大の苦手ですし。「それじゃあイカン!」と英語を社内公用語とかにしている会社などもありますが、それ自体が一種の「壁」になる場合もあってややこしい。

「え? あそこ、英語できないと入れないの?」

 でも、「英語できないと置いてかれるぜ!」と主張していらっしゃる方や、「英語できるとわかることが増えていいよ」とおっしゃる方もいらっしゃるんですよね。

 だからといって奮起できる人がどれだけいるのかというと、どうなんだろ? 「言語の壁」は甘くないぜ!

 

 とはいえ、「日本語なんか捨てて英語を公用語にしちゃおうぜ!」は個人的には絶対嫌です。日本語捨てたくないし、後世の方々にも捨ててほしくない。

 でも、日本語があくまでも主軸であり、そのうえで英語もガッツリは「ガンガン行こうぜ!」と思いますが。

 

 「フラットにならない」「フラットになれない」世界ですが、こういう部分においては「フラット化」はまずしないでしょうし、無理ではあるでしょうね、というのが個人的な意見です。

 いかに情報が技術によって「フラット化」しても、「壁」は取り除けないし、変な取り除き方しようとしてもいけない部分もあるだろうなと思うわけです。

 SNSの使い方、情報の発信の仕方受け取り方などでも結構「デコボコ」はあるだろうし、その「デコボコ」があるからこそ伸びる分野でもあるはずですし。

 各新聞紙で同じ材料の情報の料理の仕方に結構差があるのも「デコボコ」の一つかもしれません。

 

 世の中むつかしいですが、私のような人間も世界にある「デコボコ」かもしれませんね。

 あ、「壁」ではないです。そんなたいそうなものにはなれません。

 

 ということで、おやすみなさ~い。