人生雑論ノート

その日その時なんとなく思ったことを書き散らすだけの、偏屈ド変人の思考垂れ流しブログ。

読み進めていくほど「フラット化しない世界」を意識してしまう『フラット化する世界』

 こんばんわ。

 『フラット化する世界』の作者様の書きたいことに私の意識が全くフィットしないというか、

「違う、言いたいのはそこじゃない」

 という反応をしてしまう困った君です。

 

「違うわー。こうじゃないわー」

 というほかない反応なのですが、読めば読むほど「世界はフラット化しない」というよりも、

「人間そのものはフラット化しない」

 という意識になっていってしまうのですよ。

 わかっているんですよ。この本で言いたいことはまた違うのだろうなと。

 

 しかし思うのは二つ。

 一つ。いかに技術によって情報が「フラット化」しようとも、「世界そのもの」はフラット化「しない」という考えですね。

 といいますか、かなりおかしな方向へ飛びますが、読めば読むほど「フラットじゃないよデコボコだよ!?」と思ってしまう私です。

 あと一つ。

 仮に完全にフラットであるとして、「平らな先の地平線」を遠くまで見れる人間なんてそもそもいないやろ、ということです。

 

 「世界のフラット化」を描いているはずの本を読んでいくほどに「世界のデコボコさ」を感じてしまうのは、私がおかしいというか、世界を見る「なにか」がゆがんでいるのか何なのか。

 あ、目自体は悪いです、はい。

 技術による情報の扱い方がいかにうまくなっても速くなってもゼロ距離になっても、その説明をされればされるほど意識する「デコボコ」感は一体何なのか? ですが、結局この「フラット化する世界観」は「著者の世界観」なのだなあという感じかもしれません。

 読んでいて非常に面白いのですが、

「考え方はやはりこの人の考え方だよな」

「著者の主観なんだよなあ」

「これを読んでの自分の感覚も主観なんだよな」

「意識と意識が違う方向にぶつかってしまっている感があるんだよなあ」

 という、明らかに著者の意図した方向とは微妙過ぎる角度に思考が走る状況です。イヤな読者だ。

 「書いてあること」が「著者の主観」でなかったら何なんだよ、ってなことになります。誰の考えと主観を書くのだよ、とツッコミいれられること必須。

 何度も書いてますが、「言いたいこと、書いてることはソレじゃない」わけです。

 私が勝手に斜め上のこと考えているだけなんですよ。

 そしてそれこそが私の感じている「フラット化しない世界」「世界のデコボコさ」なわけです。

 

 あと、「遠い地平線の向こう側」にある何かって、どの程度見れるものですかね?

 単純な話、遠いものは見づらいです。とても目のいい方々もいらっしゃいますが、限度はありますし。

 この「遠さ」とは何を指すのかということもあります。物理的な距離に関しては「世界のフラット化」によって解決しているようですが、「フラット化」したところで「そこ」に目を向けることができるかという問題も出てきそう。

 人間、知らないものは見れない意識もできない。分からないものはいくら「フラット」であろうがゼロ距離だろうが、「意識できない」のでは? などと「天邪鬼」なことも考えまくります。

 不良読者です。

 

 伝わりにくいと思いますが、こんなことを考えたりしますということですね。

 引き続き読んでいきましょう。よろしくない読者ですけどね。

 おやすみなさ~い。