人生雑論ノート

その日その時なんとなく思ったことを書き散らすだけの、偏屈ド変人の思考垂れ流しブログ。

『フラット化する世界』をフラッと読んで思った「フラット化しない世界」

 こんばんわ。

 ちょいちょい読み進めていますよ、『フラット化する世界』。

 世界が「フラット化」するという観点は面白いのですが、ちょいと「ん?」となる部分もあったりします。

 この「ん?」こそが、おそらく「フラット化しない」世界かな、と思います。

※ただの感想です。鵜呑みはしないでくださいね?

※あと、まだまだ序盤も序盤です。

 

  なんと言いますか、「民族性」とか「国民性」だとか言われる部分があると思うんですよね。

 その中の「歴史観」とか結構顕著かと思います。「国」とか「土地」とかその他もろもろの「属性」で「意識」って変わってしまうんですよ。

 『フラット化する世界』を読んでいて、「むー」と眉をキュウと寄せてしまう部分がありましたが、それは著者からしてみれば「普通」のことでしかないわけで、このあたりに私は「フラット化しない世界」を見た気がします。

 

 『フラット化する世界』に書かれている「フラット化」というのは、「情報」「技術」などが中心ぽい気がします。少なくとも序盤の現地点では。

 ここから「意識のフラット化」に話が展開していく可能性もありますが、著者が自分のパートナーに、

「世界はフラット(平ら)なんだ」

 と言ったことが序盤で語られています。その後、私が「ん~」と思った「意識に引っかかる」話がほんの数行出てきます。ほんの数行です。つまり特に「意識せず」に書かれています。この本の論点からすればそもそも書かなくてもよい話であるような気がすることでした。

 あるいは、そういった「意識」をあえて「スパイス的」に取り入れることで「世界のフラット化」を説明しようとしたのかもしれません。

 私は「逆に」この部分が引っかかって「フラット化しない世界」をイメージしました。

 「なぜこの部分だけ「意識的」な部分を描写したのか」とすら考え、書かれていない「意識的」な部分、あるいは著者が「意識できていない」「知らない」「考えない」部分に関しての「フラット化」はどうなっているのかとも考えます。

 

 はっきり言ってまだ序盤も序盤、これから「意識論におけるフラット化」が展開されていくのかもしれませんが、この微妙すぎる「スパイス」が気になってしまうのです。

 そも、著者の方が感銘を受けたのは「技術」部分であると思われます。インドにおいて先進国からのアウトソーシングが盛んであり、地球の真裏ゆえの利点を存分に生かした「先進国の下請け」による発展過程に衝撃を受け、「世界はフラット」であるという考えを抱き、いろいろなところへ取材したりなさったんだろうなと思います。

 始まりは「技術論」です。序盤部分だけ見れば、技術が中心に話が進んでいます。

 その中の「スパイス」は、あるいは刺激的なのかもしれませんが、それこそが「フラット化しない世界」を象徴しているようにも見えます。

 私のような何の責任もない一個人ではない方の著書に書かれた「スパイス」の扱われ方、ほんのちょっとしたことであるが故に感じた「意識」。

 「情報・技術」が「フラット化」しようとも、していると感じた方の書かれた著書であろうと、そこから見えるその「ん?」の「スパイス」から見える「フラット化しない世界」。

 そしておそらく根本的に「フラット化できない世界」であり、もしかしたら「フラット化してはいけない世界」ですらあるかもしれないですね。

 これには様々な考えの方がおられるでしょうし、私の考えが全くの正解であるなどとは考えていません。

 なんとなく「できない」「してはいけない」などと書いただけですし、実際は全くそんなことないかもしれないです。その方がよいかもしれないし、悪いかもしれない。

 それは私が決めることではありません。

 さてはて、引き続き読んでいこうと思います。

 

 では、おやすみなさ~い。