人生雑論ノート

その日その時なんとなく思ったことを書き散らすだけの、偏屈ド変人の思考垂れ流しブログ。

久々にテレビを見て「ヒトってなんでこんなにもいろいろ知ろうとするんだ?」と考える

 こんばんわ。

 実家に帰ってくると、家族がテレビを見るので私も見ることになります。

 で、何気に「宇宙がなぜできたのか」「氷河期とはどういうものか」みたいな内容の番組が好きな母親に付き合い、それらを見て思ったのです。

 「なぜこれほどまでに、人は「何か」を知りたがるのか」と。

 

  過去起こった歴史的事件、文献でしか知りようがない歴史的人物、知って何の意味があるのかな数式、意味不明な地形がつくられる過程。

 こういった物事を、人間はいろいろ考えながら調べたり考えたりして謎を解いたり、解いたと思ったら斜め上だったり、そもそもまだまだ知らない「何か」があるはずだと探そうとしていたりします。

 私自身もそういったことは大好きです。身につかないですけど。

 知らぬことを追い求めることこそ「ヒト」の本分でもあるということでしょうかね?

 

 人間はあらゆるものに「名前」を付けてきました。名前を付けて、そして「世界」を「名前」であふれさせました。

 人間は何かを「名付ける」=「定義付ける」。常に意味を探して張り付けて消したりつなげたりと常に忙しいです。

 「名前」を付けずにはいられない、「意味」を与えずにはいられない、「定義」付けずにはいられない、なんとも難解というか業が深い存在ともいえます。

 ちなみに昔こんな記事書いたことあります。

 

zaturon.hatenablog.jp

  おおよそ一年前の記事ですか。懐かしいような、そうでもないような。

 

 なんでそんなことをするのだろうか? と考えてしまいますね。

 私は「お金」について知りたいと考え、本やオーディオブックを「読んで」います。

 私はいろいろ知らないので、「ぎゃあああああ!」と悲鳴を上げるような経験というか、トラウマ抉られたというか、そういうことがあったので「知る」ことで克服できるのではないかと考えたわけです。

 

 「知らぬ」は恐怖である。これが「ヒト」が何かを知りたいと思う原動力でしょうか? これだけでしょうか?

 そもそも私が「投資」に興味を持ったのは「面白そう」と考えたからです。

 そして、「今の私の状態でまだ投資信託とは持っているべきじゃない!」と考え一度投げ捨て、現在また考えを改め「ゲーム」してみることにしました。

 「面白そう」「知りたい」「見てみたい」「やってみたい」これらの感情というのは、なかなか曲者だったりもします。

 「恐怖」も十分曲者ですが、一見ポジティブに見える上記の感情は、ある意味「恐怖」よりたちが悪いかもしれません。

 

 知らぬことは「知らぬこと」だと名前を付け、そのようにラベルを張ることで結局「定義づけ」てしまいました。

 知らぬなら、知ってしまおう、ホトトギス

「下手か!」

 ツッコミまちです! カモン!

 は、置いておいて、知らぬことも「知らない」としてしまうことで「知らぬ恐怖」をやわらげ「知りたい」欲を掻き立てることにもなる。

 ある意味人はいつだって「知らぬ」を求めているのでしょうね。「知らない」ことがないと「知りたい」と思えないし「知る」ということすらできないから。

 はるか昔、まだ私が「ダイガクセイ」などという物体だったころ、哲学の講義にて先生がおっしゃった言葉。

 

「この世には「知っている」ことと「知らない」ことがある。この比率は変わらない。「知らない」ことが減れば、また新たな「知らない」ことが出てくる」

 

 これはこの世の真理ととるべきか、「ヒト」がそういう存在であるという意味なのか。

 そもそも上記のような言葉を「哲学」の先生がおっしゃる、これ自体が一つの答えでもあるかもしれません。

 

 などといったところで、今日のところはこのあたりで。

 おやすみなさ~い。