人生雑論ノート

その日その時なんとなく思ったことを書き散らすだけの、偏屈ド変人の思考垂れ流しブログ。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということ

 こんばんわ。

 今日はちょっと「戯言」を言おうと思います。

 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということは、こういうことかとふと思った話です。

 自分自身の内面について書いてます。

 

  私は普段から怒りっぽくて不満の多い人間でした。

 このブログで結構色々悪口を言ってしまっていたなと思います。

 最近オーディオブックで『嫌われる勇気』(岸見一郎、古賀史健著)を何度も「読んで」みて、いろいろ考えました。

 

 私はまず「誰々がキライ」ありきだったな、と思います。

 自分なりにその人、あの人を「キライ」になるきっかけみたいなものはあったとは思いますが、結局自分が「誰かをキライ」であろうとしていたのだろうなと思います。

 誰かをキライであれば、自分は不満を言っていられるし、いろいろと正当化もできるわけですね。

 母親のせい、職場の誰々のせい、こう言っておけば自分の中の不満点をそちらに転嫁できるわけです。

 一度「キライロックオン」してしまえば、あとはどうとでもなるわけです。あれもイヤこれもイヤとなっていきます。

「うまくいかないのは誰々のせい」

「私は頑張っているのに、周りが頑張っていないから私だけがしんどい」

「私がこうなったのは誰それのせいだ!」

 うんまあ、今までの恨みつらみを考えてみるに、「恥ずかしい」の一言でしかないわけです。

 でも、「誰かをキライ」であることそのものを否定する、完全になくすのは現段階ではむつかしいですよね。

 私は「この職場にいては疲れるだけだ」と考えて、転職活動をしています。それは間違いではないと思います。

 少なくとも、私はあの職場ではうまくいかないのです。それは間違いないです。

 どこ行っても一緒だろうとは思いますが、「キライロックオン」をしてしまうともうどうしようもないわけです。その人の悪いところ、と「私が思っているところ」ばかりが目に付くようになり、それにより精神的に消耗していくことになるわけです。

 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とは、要するにこういう状態なのでしょうね。

 自分で一方的に「キライになるためにキライになり」勝手に消耗していくんだから迷惑な話です。しかし、そうなってしまったら自力ではどうしようもないので、やはり物理的な距離をとるのは大事だと思います。

 なんだかんだで実家を出て一人暮らしを始めたのは、そういう意味でよかったと思います。実家のあれこれに左右されず、自分の意志で考えることができるようになりましたからね。

 だから、「あそこでの人間関係はもうだめだ」と考えて、「じゃあ、場所を変えよう」とするのは間違いじゃないと思います。

 少なくとも、一度リセットできますから。

 

 なかなか割り切って考えるのは難しいですが、自分の中にある考え、意識をこうやって認識できたのは大きいと思います。自分の気持ちをきちんと認識できていると、自分の気持ちをセーブしやすく、変に暴走もしなくなると聞きました。少なくとも、自分の意識をきちんと認識できていない場合と比べると、やはり気持ちも行動もかなり大きく変わるそうです。

 こうして自分の中にあるものを「一つだけ」でも確認できたので、これを「一歩前進」と考え、もっとちゃんと進めるようにしていきたいと思います。

 

 皆さんも自分の中にある「気持ち」「意識」などに目を向け、ちょっと考えてみてください。私もちょっとだけ進めたと思うので、皆さんならもっと進めると思います!

 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」みたいな状況になると、私みたいになってしまいますからね! でも大丈夫! 私はこれからも進めると思いますから、皆さんも進めますよ!

 何度でも書くぜ! 大事なことだからな!

 では、おやすみなさ~い。