人生雑論ノート

その日その時なんとなく思ったことを書き散らすだけの、偏屈ド変人の思考垂れ流しブログ。

「1+1=1」という問題について

 こんにちは。

 皆さん「エジソン」という方についてご存知ですか?

 「発明王」の異名を持つ方ですが、この方の学校時代のエピソードを以前テレビで見たことがあります。

【泥団子が二つあって、その二つをまとめたら一つになった。「1+1=2」というけれど、この例なら「1+1=1」ではないか?】

 

 「ああ、たしかに!」と考えたのはきっと私だけじゃないはず。だって現実に泥団子は二つから一つになっているんですから。

 しかし私たちはしっかりと学校で「1+1=2」と習います。それは間違いでもおかしいことでもありません。

 しかし、「1+1=1」というのは現実に起こっていることであり、これも間違いではないのです。

 ではこの二つにおいては、何が問題となるのでしょうか?

 

 上記の泥団子の例の場合、エジソン氏が「1+1=1」といったのは「泥団子の数」です。

 「1+1=2」で考えた場合、なにが「2」になっているのかと考えると、「1」の質量の泥団子が二つだから、「1+1=2」と考えたらいいということでしょうか?

 泥団子が二つあり、二つを合わせると結局数は「1」、しかし「1」の泥団子が二つあるんだから、質量としては「2」となる。

 つまり、「1+1=1」と「1+1=2」は、視点を変えた場合における計算式であり、どちらも正しい考え方であるといえる、と言っていいのかはよくわかりません。

 私、学校での数学は赤点連発のダメな人でしたからね。ふ、ふふふ……。

 

 ちなみに、学校のテストにおいて「1+1=1」と回答しようものなら確実に「不正解」とされます。

 学校では「1+1=2」という法則をしっかりと学習してほしいからです。「1+1=1」は、「数学」においては基本的に「変化球」という扱いか、少なくとも義務教育の場においては「ちょっとそれ横に置いといてくれない?」という扱いの考え方なのかもしれません。

 「1+1=2」としっかり学習することはすごく大事だと思います。この世界においてその法則はとても大事だからです。だからこそ学校も「1+1=2」をしっかりと理解してほしいし、その上でさらに高度な問題を蓄積していってくれることを期待しています。

 「1+1=2」を土台とした数学的な思考は色んな所で活用されていますし、そうと気づかないところでしっかりと利用もしています。

 「1+1=2」はある意味「不変」「絶対的」な法則であり、必要とする場面が多く、その思考自体も習得していると非常に役に立つものです。

 

 では、「1+1=1」はどうでしょうか?

 この計算式、「1+1=2」のような「絶対性」「不変」にかけます。なぜなら、この考え方を始めたらきりがなくなるからです。

どういうことかというと、「1+1+1+1+1=1」も「2+3=1」も成り立つ、ということになります。

 「1」個の泥団子が五つある。それらをまとめてしまうと「1+1+1+1+1=1」である。

 「2」の泥団子と「3」の泥団子がある。それらをまとめると「2+3=1」である。

 こういうことになってしまうわけです。どんなものもすべて「まとめたらイコール「1」じゃないか!」となってしまう考え方です。

 

 そして、上記をお読みになられた多くの方がツッコみを入れたことでしょう。

「「2」やら「3」の泥団子って、そもそもなんだよ?」

 「1+1=1」の場合、泥団子で考えると「質量」ではないか? と考えました。

 ちなみに「1+1=2」の考え方の場合、

『1+1+1+1+1=5』

『2+3=5』

 どちらの答えも「5」になります。「1」の泥団子が「5」個あるから答えは「5」であり、「2」の泥団子と「3」の泥団子がそれぞれ一つずつあるから合わせると答えは「5」ということです。

 一応、「自明の理」です。

 「1+1=1」の考え方の場合、「2+3=1」の「2と3」は「質量」ではあるが、この質量のものを合わせても数は「1」となる、ということではないかとか考えます。

 

「おいまて。「1+1=1」においては「数」が問題なんだろう? 「質量」を持ってくるのはこの場合反則じゃないのか?」

 反則と言いますか、この文脈においての『泥団子の質量は「1」」あるいは「2と3」』というのにはぶっちゃけ根拠がありません。適当にそうしました。

 しかしそうなると「1+1=2」においても実は問題が起きてきます。

 質量「1」の泥団子を二つ合わせて質量「2」という計算式が怪しくなってきてしまいます。そもそも「泥団子」を使うとしたのはこの場合私の勝手な都合であり、「泥団子の質量」も私の勝手な解釈となります。

 「絶対不変」の計算式「1+1=2」が、私個人の勝手な解釈によってその属性を危うくしてしまうことになります。

 しかし、「1+1=2」自体は不変の定義と言っていいはずです。なぜなら「そう定義されているから」です。

 おかしな風になってしまうのは私の「個人的解釈」が組み込まれたからです。

 

 数学において、「数の定義」自体は不変であり、計算式の「法則」も不変のはずです。数字の「1」はどうあっても「1」に変わりはないし、「1+1=2」だって不変です。

 そうでなければ数々の数学的に支えられている「法則」「定義」「システム」がめちゃくちゃになってしまいます。こういう場合において、上記のような「個人的解釈」が入り込む余地などありません。

 

「じゃあやっぱり、「1+1=1」はおかしいじゃないか」

 個人的には「おかしくない」ですよと言いたいのですが、数学的な視点から見るとやはり「おかしい」のでしょうかね?

 しかし、「一つになった二つの泥団子」はまさしく「1+1=1」になっています。

 「数学における定義」と「泥団子エピソード」における「1+1=1」は切り離して考えるべきなのでしょうか?

 少なくとも、「数学」においての定義はあくまでも「絶対不変の数字」を扱ったものであり、「どうとでもなる泥団子」は想定していないはず。

 つまり純粋な「数字」をあくまでも扱っているのですから、「個人的解釈」による物理的質量を伴う「なにか」を持ち込むことはルール違反の可能性があります。

 

 ここまでいろいろ書いてきましたが、私は数学赤点であり、ルールも把握していない状態です。もしかしたら「泥団子」的な何かに対応する「定義」「法則」「ルール」があるかもしれません。

 

 いったんここで切ってしましましょう。私自身、「ん? んん??」となってしまっていますから。

 もしよろしければ、これを読んで「よし、ちょっと遊んでみようかな!」という感じで、頭の中でいろいろ考えてみると面白いかもしれませんよ?

 

 ここまで読んでくださいましてありがとうございました。