人生雑論ノート

その日その時なんとなく思ったことを書き散らすだけの、偏屈ド変人の思考垂れ流しブログ。

「人間」はなんで「神様」を「認識」したのだろう?

 こんばんわ! そしてこんにちは、おはようござまーす。

 

 タイトルが色々問題ありな気もしますが、なんでかいきなり気になりました。

 人間はなんで「神様」を「認識」したのか。

 

 ちなみに私自身、神様は「たぶんいる」派。

 初詣行って、無病息災を願う新年初湯式に参加し、「神様今年もこの土地に住まわせていただきますので、よろしくお願いします」と挨拶し、お守りを買っていく人間です。

 初湯式のとき、巫女さんが神様に奉納した湯を素晴らしい技でバシュ! と、サカキを使って飛ばすのですが、その湯に当たれずちょっと残念な気分にもなりました。

 意外と信心深いんでしょうかね、こうして書くと。

 

 まあ、そんな感じで「神様なんていねーよ」とは考えておらず、その存在を否定するつもりもないです。

 が、それとこれとは話が別というか。

 人間が「神」という存在を祀り、畏れるのか。

 その意味は何なのか。

 や、普通に考えて、説明しようもない現象や、そうであれば良いと考えるなにか、あるいはとてつもない悪いことに対するある種の納得など、いくらでも「意味」はあるわけです。

 

 「神様」って、「確固たる人格を持った超常現象」なわけですよね。つまり、そこに「人格」がどうしても付与されるわけですよ。

 古事記では、アマテラスオオミカミスサノオノミコトが兄妹喧嘩するし、その結果姉であるアマテラスオオミカミは「もうやってらんねーよ」と引きこもっちゃったりしてます。

 ともに最高クラスの神様たちですが、行動はものすごく人間。

 

 一神教においても、神様が人間に語りかけてくるという行動を取っている以上、何かしらの「人格」を感じてしまいます。

 いやま、「人間に神様が合わせてくださっているんだ」ということなんでしょうけど。

 

 人間が「神話」「教義」「その他エピソード」を考える以上、どうしてもそうなってしまうのは当たり前なんですが。

 語りかける言葉が、実際は全く人間に理解不能な言葉であったとしても、それを聞いた誰かがほかの人にも理解できるように翻訳したらそうなるだろうし。

 が、そも「語りかける」という行為をするというあたりが、人間が考えているなあと思うわけです。

 じゃあ他にどう表現したらええねん、っていわれると思います。どうしようもないですけどね。

 人間が表現できるのは、人間が考えて言葉にできることだけですからね。

 人間の思考によって表現されたすべてのものは、人間が思考できる範囲でしか現れることは出来ません。当たり前ですが、そういうこと。

 

 が、そうやって人間が表現できる「すべて」を使って、「神様」は「つくられて」いるわけですが、それほどまでに人間は「神様」を欲しているわけですよね。

 日本人は「無宗教」とか言われますが、それたんに「信じる神様」が従来の宗教における神様仏様とは違うものになっただけかもしれないですし。

(根本的に日本人は決して「無宗教」ではない! って、大学で教わりましたけど、今回はその話はどうでもいいです)(内容忘れましたし)

 

 自然災害、病、強大な敵国など、その時の自分たちではどうしようもない何かを鎮めてほしいときなどがあります。

 こういう時に、「神様に祈る」という行為をするんですよね、何故か。

 自分たちでどうしようもないことに対して、「神よお助けください!」って「思考」「行動」するってすごく不思議な感じがします。

 人間が「神様」を「認識」する前は、こういう時どうしていたんでしょうね?

 

 「神様」を持つのは、はたして人間だけなのでしょうか? 他の動物も人間のように「神様」に祈ったりするのでしょうか?

 「動物がんなことするかー!」ってツッコミ入れられそうですが、逆に言うとなぜ動物はしなくて人間はするのか。

 祈りの対象、畏れる思考、そういったものを持つに至った人間の、その行動の根本はどこにあるんでしょうか?

 

 極論を言うと、信仰対象がなくても「生きていく」事はできるわけです。目の前の問題に取り組み、仲間がいるなら協力しながら、一人であろうと工夫しながら、人間はなんだかんだと生きて進歩してここまで来ました。

 でも、人間は「神様」を常に己のそばにおいています。「信仰」「祈り」の対象は、基本的に色んな人が何かしら持っている可能性があります。

 そういうものを常に置いておく、自分のそばにあるという「思考」。これがどうしても疑問。

 

 「神様」という「人格化された超常現象」を「思考」する人間の「想像力」、これ自体がものすごく謎。

 「時間」に対する記事を書いたりもしましたが、それも割と謎な概念ではあります。

 「神様」「時間」などと言ったものをある種の「思考ツール」としているのが、人間という存在の特殊性といえるのか否か。

 そも、そういったものを必要とする「人間」それ自体がわりと、一番の謎かもしれませんね。

 

 こんな意味不明なことを「疑問」とする私もわりと変ですけどね。

 でも結局、こういった「疑問」を持つ私自身「人間」ですよね。

 よく考えるんです。

 人間は、なぜこんなことをしているのだろうと。

 

 電車に乗りながら、電車を作るに至った「人間」という存在の発展に疑問を抱き。

 数学などの学問に対して、難解複雑な数式を死ぬまで求めるその姿勢に対して、憧れると同時に、そういった深淵を求めてやまない「人間」の存在自体がどうしてもよくわからなくなります。

 

 「人間」って何なんでしょうかね?

 「人間」のもつ「思考」って、ものすごく面白い分野ですよね。

 「思考」によって「神様」も「時間」も「つくられた」ともいえます。

 そして「思考」を支えるのは「言葉」ですよね。

 「時間」も「思考」に不可欠ですが、「人間」が「時間」という概念を生み出したのはいつでしょうかね? 本当に。

 「言葉」と「時間」だと、どちらが先でしょうか?

 個人的には「言葉」かな~? って気がしてますけど。気がしてるだけですけど。根拠などないですし。

 ただ、「時間」というある種複雑な概念を「思考」するにあたり、まず「言葉」があったのかな~、という感じ。

 

 私は、「神様」の存在を否定しないし、むしろ「たぶんいる」と思っていますけど。

 「人間」の「思考」する範囲ではどうしても「神様」はそうなるし、逆に言えば、「人間」が「言葉」によって、「時間」という概念すら用い、「思考」する存在故に、「神様」という存在を「考える」事ができるに至った、とも言える、のでしょうかね?

 

 では、それすら可能にする「思考」ってなんやねん、となりますが、キリがないのでこのあたりで終わっておきます。

 では、ありがとうございました~。