人生雑論ノート

その日その時なんとなく思ったことを書き散らすだけの、偏屈ド変人の思考垂れ流しブログ。

「現実」的に行動するには「理想」は必要ですよね

人選雑論ノート、今回のテーマは「現実的な行動」と「理想」について。

 

あうあう、間が空いてしまった。書こうと思ってもかけないんですよ。

今、かなり必死にやっていることもあるので、意識がそっちに行ってしまっているんでしょうかね。

  

で、「現実」と「理想」なんですが。

「理想」ばっかで「現実的」じゃない! みたいな言い方すると思うんですけど、「現実的」に行動しようと思うと「理想」はやっぱり必要なんですよね。

この案は現実的だ、と評価され、理想ばかりで現実味がない、とも言われたりする。

現実的に行動しようと思う時、理想が高すぎるとやりようがないってことでしょうか?

現実的なものは評価が高くなりますが、それは即効性が高いという部分の評価も有りますよね? 現実的だと行動自体も早まるから。

でも結局のところ、それは実行した際の効果の幅が狭くなるんですよね。単発的だし。

 

「いじめ」って、私は絶対に「ゼロ」にすることは不可能と考えている人なんですが、じゃあ対策しなくてもいいなんて思っていないわけです。

「ゼロ」にはできないと考えているんですが、「いじめ」を「減らす」には「なくす」努力をしないと不可能と考えています。

単純に考えて、「100を0にする」という目標と、「100を90にする」という目標を立てたとします。たぶん、「90にする」という目標の方は、なかなか90に出来ないだろうし、最悪そこまで行かないと思うんですよ。でも「0にする」という目標の方は、90までは「90にする」方よりも早く行くかもしれないし、もっと減らせるかもしれない。

目標が0か90かのちがいなんですよね。「目標0」の方にとってはあくまでも「目標90」は通過点ですからね。

 

高い目標を立てることで、そこまでの道筋ができる。その道筋をどうすればよいかを考える。

でも、あくまで「現実的」な目標だと、道筋も大したことないし、その道程も対して思考しないんですよ、はい。

A地点に行きたい! じゃあどう行けばいい?

場合によっては回り道して、後退して、「いやこの道明らかに違うじゃん!」みたいなところでも、行き着くためには通らないといけなかったりする。道が長ければ長いほど、その作業は複雑に、見るべき道も増え、回り道も増えるし、関係ないように見えてしまう道も通らないといけないことに気づけますよね、たぶん。

単発的な目標だとそれを見ることが出来ないんですよ。その単発的目標、「現実的な目標」の場合、それを含む高い目標、「理想」から見て含まれる「回り道」は見落としまくる結果になるでしょう。常に最短。回り道なし。

故に、「回り道」した際に得られる効果を得ることなく、場合によっては行き詰まる可能性すらあります。

「いやそれ関係ねえじゃん!」なことが、実は最終的には超重要な事でした! というのは珍しくないですよね?

 

視野を広く持ちなさい。俯瞰的に物事を判断しなさい。

よく言われる言葉です。視野を広く持った結果、「現実的な目標」を立て、実行できる人は多いかもしれません。

「理想主義」は嫌われます。明らかに実行不可能なことを行っている場合ですね。

でも、筋道を立て、順序よく、回り道も辞さず、「理想」だけは見失わないで長く長く歩き続けられたら、「理想」に近づくことはできるかもしれませんよね?

その人一人だけが「理想」を見て、筋道を立て、「現実的な目標」を出したとしても、他の人はその人の「理想」を知らないから全体像はわからないわけです。

でもその人が自分の中の「理想」を話したとしたら、もしかしたら、

「そんな現実味のないこと言ってんじゃねえよ!」と怒られるかもしれません。

でもその人の中では目指すべき理想の「道筋」はきちんとあるので、怒られないようにするために「理想」は一切話さず、「現実的な目標」だけを小出しにしていくという方法があります。

でもそれだとやっぱり行き詰まりそうでしょ? 「回り道」がしにくいですからね。

 

「理想」をバン! と出して、そのために何をするかを話し合いたいと思っても、「理想」を言った瞬間相手にされなくなったりするんですよ。

「こいつは現実を見ていない。使えない」

こういう評価をされたりします。

目の前の問題を片付けるのは大事だし、現実に即した行動も大事ですが、「それだけ」だと根本的な解決ができなかったり、出て来るアイデアも幅が狭くなりがちです。

「もっと深いところ! かゆいところに手が! 届かない!」

こんなもどかしさがあります。

いやそれ違うんだよ。そこじゃないんだよ。それ考えるのはすごく大事だけど! 必要だけど! その前にこっちの問題片付けないと解決しないから! 悪化するから!

こんな経験、ありませんか? 私はあります。

 

いや、分かるんですよ? 自分が今困っているのは、関心があるのはこれ! だからこれから手を付けたい!

でも、その分野での解決を目指したい場合、違うところからの解決から手を付けていかないといけない場合とかありますよね?

上にも書きましたが、「現実的」な事柄ばかりに気を取られていると「理想」から俯瞰的に見た場合のルートにある重要事項を見落としがち。

「現実的思考」で「理想」から「俯瞰的」に道筋を立てても、大元の「理想」が受け入れられなかったらどうしようもない。そして、「理想」は「現実的」ではないからという理由で、却下されがち。

あれ? これ詰んでね?

 

個人的に、「◯◯だからしょうがない」「▲▲だから無理」って言う言葉を聞くと、「その先は!? そこから何故進もうとせんのじゃああああ!」と思うんですよ。

これ、あくまでもそれらの事象に対して単発的な物の見方しかしてないんですよね。個別にしか見ていない。他のつながりから見ようとしない。

「いやそこから考えようよ!?」て、ことが多いんですよ。しかし「現実的」に考えると、それらの解決やら何やらに着手すると、面倒だし大変だし、となるわけです。

うん、大変です。しかし私は「将来楽するために今苦労する」派。とは言え、「今、出来てるし」「今楽じゃん」という考えは基本的に優勢です。

「今」苦労していても、それを改善する苦労なんて更にややこしくて面倒だからゴメンだぜ!

「今」結構楽できてるんだからもういいじゃん。

……ガンバろうぜ!

ムリ!

 

しかしアイデア手法には、批判を一切せずにただただ意見を出しまくるというものがあったりします。これは誰も嫌がらないんですねえ、何故か。

あくまでもアイデア手法、ここで出たアイデアから取捨選択、下ごしらえして、味付けして、いい感じに盛り付けて、ハイ完成! と、なるからこそであり、そういう使い方をするものだと理解しているからですね。

多分「理想」もそういう使い方できるし、そも、そういう風に使うものですよね、恐らく。

 

まあ、何がいいたいかといいますと。

とりあえずガンバろうぜ! しつこいけどな!

……かな? 面倒臭いですけど。私極度の面倒くさがりですけど。お前が言うなですけど。

回り道しても、歩く距離が千里でも、たどり着いたら素敵やん。

 

そんな感じで、今回は終わっておこうと思います! グダグダになってしまっ、あうあう。

それでは、縁がありましたら、また会いましょう!