人生雑論ノート

その日その時なんとなく思ったことを書き散らすだけの、偏屈ド変人の思考垂れ流しブログ。

男女の区別と差別について 6個目

人生雑論ノート、今回は久しぶりに「男女の区別と差別について」です。

まだ終わってないところにやっと帰ってきましたねえ。でも次はまた違うこと書いてるかもしれません。未来は誰にも分からない。

  

ではでは、本格的に書いていきましょう。

前回も随分生々しい話だったと思います。よう書いたな自分、というところ。

多くの方から「ふざけんなあああああ!」と泥を投げられたらどうしようといった心境です。

 

それで、ですね。ふと思ったんですよ。

女性は子供ができたら身動き取れなくなります。前回も書きましたが。

で、会社などでは「子供できたらやめるから」とか、「子供できたらしばらく出てこなくなるし、あんまり働いてくれなくなるじゃん」ということで、女性は昇進しにくいとか、採用されにくいとかありますよね。

 

そして思ったことなんですが。

動けなくなるリスク、しばらく出てこれなくなるリスク、働く時間が短くなるリスク事態は、男女関係ないですよね?

男性だって病気になるし、事故るし、最近じゃ介護問題とかもありますよね。

ことさら女性のライフイベントに焦点当てる意味ってなんなんでしょうね?

おそらく基本的に、女性は結婚したらそうなるっていう前提が何故かある。で、過去ずっとそうだったという意見がありますがリスク的には男女変わりないので、単にそうあるべしっていう風潮を誰か作ったんじゃないですかね?

そんなん当たり前じゃああああ! って感じですが、これ結構重要ですよ。

上記しましたが、「リクス的には同じ」なんですよね、男女とも。内容はそれぞれその時々でしょうけど。

結婚したら必ずやめるというのも、ある種のレッテル貼りのようにも思えます。

 

ラベリング理論というものがあるのですが、ようするに「お前はこうだ!」と決めつける、つまりレッテルを貼るという行為をし、レッテルを貼られた人はそう行動するようになる、みたいな感じの理論です。

気になる方は調べてみてください。結構面白い理論です。そして調べた結果「ぜんぜん違う!」ということになっても怒らないでください。

 

結婚したらやめる、というレッテルを女性に張っている、ということになりますね、この理論の場合。そしてそのレッテルは、「レッテル通りにしろ!」という圧力にもなります。

例えば、結婚しても仕事やめる気なんか全然なく、子供ができても最小限のロスで戻ってくる気満々の人に、

「でも、子供できたらどうせ辞めるんでしょ?」

と言い続けたら、その人は嫌になって本当に辞めてしまうかもしれません。

そしてそれに対して周囲が、

「ほら辞めた。やっぱり女は結婚したらやめるんだ」

とか言う反応だった場合、そのレッテルは強化されるわけですね。

そしてこのレッテルは、そういうレッテルを貼る人、あるいは環境においては女性全てに貼られているわけです。

結婚したらどうするか、特に考えていない人に対して、

「女性は結婚したらやめる」

というレッテルを貼れば、その時点でその人はそうしてしまう可能性が高まります。周囲からそういう圧力がかかっているわけですから、結局やめざるを得なくなるわけです。

まあようするに、「結婚したら女性が辞める」からそう言われるのではなく、「レッテルを貼られた結果」辞めるということになります。順番が逆なわけです。

そう考える理由は、男女ともに最終的なリスクは同じはずだからです。

 

すでに書きましたが、男性だって病気になるし、事故に遭うし、介護だってしなくちゃならなくなる可能性があります。

むしろ女性のライフイベントの場合期間が分かりやすので、計画をたてるのが容易であるというメリットが有るはずなんですよね。

個人差はあるものの大体の期間は同じ。その後の経過も基本的には同じです。あくまで基本的にはであって、絶対じゃないですよ?

病気だの介護だのはいつ終わるのかなんて見えない場合が多いです。それは男女平等に来るもので、最終的にリスクは同じ。ならある程度の目安がたてられる女性のライフイベントは、大してマイナスはないはずだと思うんですよね。

 

でも、そのあたりの意識は基本的にないですよね? 辞めるのも長期休むのも女性、だから女性は採用したくないし、大した仕事任せたくない! となるわけで。

でも、とある部署のエース社員男性Aが急に病気にならないと誰も言えないわけです。明日事故に遭って入院してしまうかもしれない。そうなった時の損失は大きいわけです。

結局男女平等なんですよね、仕事できなくなるリスクも、しばらく休まないといけないリスクも。

しかし実際は「結婚したら女性は」といった、女性に焦点を当てた言い方しかされないんですよね、なぜか。

どうして多くの人が実際のリスクを見ず、女性だけしか見ていないのでしょうか?

で、ここでの「男女システム」における「役割」が発生します。

子供は女性が育てるもの。

「男女システム」ではそうなっています。機能も女性側にあり。

しかし、これは結局「女性は辞める」「女性はしばらくまともに働いてくれない」に当てはまらないんですよね。仕事ができたら良いんですから。

結婚したら子供ができるから、女性が子育てをして、という考え方なんですが、それがイコール「仕事辞める」「しばらく働けない」に直結するかと言われるとそうでもなかったりします。

そも、何かしらのハンデを背負いながら素晴らしい業績を残しておられる方々は男女問わずおられるわけです。

そして子育てと仕事の両立はそれはもう大変ですが、ある意味において大変にしているのは当事者の周囲である場合もあるわけです。これは病気その他も同じことです。

 

基本的に「積極的」に動くのは男性です。一応そうなっているっぽいです。

「男女システム」的にそうであるということは、ある意味において、そうあることが男性にとってのアイデンティティとなっている可能性があるかもしれない?

無論そういったことに縛られない生き方をなさる男性は多くおられますし、最近では昔ながらの「女性は内助の功」、などといったことは一切考えないでパートナーを選ぶ男性も増えておられるとか。

 では「男女システム的アイデンティティ」は崩れているのかというと、多分違うんじゃないかなあ、と。

結局のところ、その次代その場所において、次の世代にバトンタッチしやすいようにしていくためにはどうするべきかの一種の答えなだけだと思ってます。

ほら、時代によって男女の美醜って変わるらしいですし。太っている方が良かったり、その逆だったり。メイクの仕方も流行り廃りがありますが、結局そういうことかと。

適者生存とかいう考え方もありますが、その時代その場所に適した生き方ができる者が優れている。そして優れたものが生んだものなら優れている確率は少しでも上がる。

まあ、そんな感じかな、と。

なんだかんだ言いつつ、生き方を変えていかないといけないと言われている昨今、変化に柔軟に対応できる若者は今に適した生き方にあっさり順応していきます。また若者ってわけでなくとも、時代の流れを敏感に感じ取り、逆らわず、さりとて流されず、それでいてベストな生き方をなさる方もおられるわけです。

そしてそういった人たちの選んだ生き方はようするに、今の時代のこの場所においてはそれなりに適した生き方であるはずです。絶対にとは言い切りませんが。

あるいは、それぞれが模索していく段階なのかもしれませんね。

男女のあり方もそれに従って変わっていっているようです。効率的に次代へつなぐシステムは存在しても、その運用自体は色んな要素に従ってああなってこうなって、となっていっているはず?

 

まあ、男女の役割分担において、それぞれに不満や主張が合ったのは昔からのようですし、結局ベストというよりはベターだった可能性もありますが。

しかもそのベターであっても不満は膨れ上がり、ある意味、今爆発している状態でもありますし。

どっちが良い悪いで議論してても不毛なんですが、お互い自己の尊厳がかかっているものだから譲れないし。

まあ、なんだかんだ言いつつ今まで少なくとも「形」が保たれていたのは、「男女システム」においてはきちんと双方文句なしに役割を果たせる確率が高かったからかもしれにですね。

まあようするに、あんまり「相手」に責任をなすりつける「作業」はやめて、とりあえず「今この時代この場所」に適合するようにだけしていったら一番ラクじゃないですか? みたいに思います。

それができたら苦労しないですが。お互いに被害者意識が強いし。

 

まあ、今回はこれくらいで終わっておきましょう。尻切れトンボですが。

では、縁がありましたら、またお会いしましょう。