人生雑論ノート

その日その時なんとなく思ったことを書き散らすだけの、偏屈ド変人の思考垂れ流しブログ。

世界は名前で溢れている

人生雑論ノート、今回は「名前」について、ちょっと書いていこうと思います。

お前、「男女の区別と差別について」は? て聞かれそうなほどにほったらかしていしまっているような気がします。

いや、気になることは世に溢れているんですよ、とかいってお茶を濁してみます。

 

 

では、今回のテーマ「世界は名前で溢れている」ですが、これ前からちょっとだけ思っていた事です。

人間って、名前つけるの好きですよね。新たに発見された星とか、動物とか、法則とか。とにかく見つけたら名前名前。だって、名前つけないと区別できないもん。

見つけた人の名前がついたりもしますよね。これは分かりやすいと思います。しかし、「ん? なにそれ?」な名前もあります。いや、意味はあるんでしょうけど、私が知らないだけで。

 

そも、名前ってなんぞや?

名前は私達が生まれたときからその辺に溢れていて、現在も増え続けています。

名前がないとそれが何かということすら考えられないわけですね。対象を名前によって確定する?

「アレとって」

「アレって何よ?」

「アレは、それだよ」

「それはどれ?」

明確な名がなければ、会話ができないのですよ。

私にも名前がちゃんとあって、その名前で読んでもらっています。そして私も人を名前で呼びます。

 

名前とは何か。定義付けですよね。

私の名前は私という存在を定義付けてくれています。

更に私は、自分に自分で意味づけしました。「zaturon」です。割りとテキトーにつけた名前ですが、これは私という存在を「zaturon」という名前で定義付けたのです。むろんこの名前はこのBlogおよび「はてな」関連の各サービスでのみ有効な名前であり、友人知人、勤め先の会社の方々にはさっぱりの名前です。公共サービスではもちろん使えません。

しかし、このサービスを利用するという意味合いではこの名前は不可欠であり、無くてはならないものです。

本名でBlog運営をなさっておられる方は、元々の名前、つまり「定義」をそのまま利用しているだけで、大した違いはないです。

 

さて、私は私に定義付けをしました。そしてこの記事にも「世界は名前で溢れている」という名前をつけて定義付けしています。

更にはこのBlogには「人生雑論ノート」という名前をつけさせていただいております。

この記事一つ書くのに結構な名前をつける作業、つまり定義付けをしていることがわかりますね。

ちなみにこれを書くためにはネット環境が必要ですが、プロバイダとの契約でも、プロバイダから色々と指定されていることがありますよね。向こうがこちらを識別するためにつけた名前です。

お互いに名前をつけてつけられて、それを利用してコミュニケーションをとったり、サービスを提供したりされたり、ああもうキリがないですね。

名前がないと人間生きられませんね。物すら買えないですからね。

 

ちなみにものを買うのにはお金が必要ということになっていますが、お金はそも実態がないものだと言われているらしいですね。結局は高度な技術で印刷された紙であり、細かな彫刻がなされた金属です。

「金は信用だ」

全くですよ。お金がなくてヒイヒイ言ってる私は信用がないということなんですね、分かります。

お金がないと物が買えない。つまり、信用がないと何も買えない。

最近投資信託を買って資産を増やそうと努力していますが、それだって根本的にお金がないとやりにくくはありますよね。

で、そんなお金をお金たらしめているものですけど、「お金」という名前ですよね、ある意味で。

有名人が印刷された紙に「お金」という名前をつけて使っているわけです。あるいはクレジットカードなんかもそうですよね。紙もコインもないけど、お金は払われますよと約束しているわけです。クレジットカードという名前をつけられ、定義されたアレが。

 

「お金」として使うものに「お金」という名前をつけることで利用しているわけです。名前つけたら終わりじゃないのは理解していますが、「名前をつける」をしないことには根本的に始まらないと思いませんか?

お金は信用である。では、信用とは何か?

信用も「信用」という名前ですよね? 信用という定義があります。信用を辞書で引いたら意味も出てきます。そういった事柄に「信用」という名前をつけて使っているわけです。

そしてその辞書に意味の説明で使われている事柄もまた、「名前」をつけられている。

はい、エンドレスです。終わらないですね。

でも、元々世界に名前なんかありませんでした。今でこそ右を見ても左を見ても「名前」「名前」ですけどね。元々そんなもの存在しなかったのですよ。

世に存在しなかった「名前」を作り出したのが人間です、はい。少なくとも、私達が普段使っている「名前」群は間違いなく人間が作りました。

 

個人的に思う、人間が一番最初に作り出した名前は「言語」だと思っています。

何か言いたいこと、考えたいことがある。しかしそれをそうすればいいのか。

で、自分の言いたいこと、考えていることに「名前」をつけたのですよ、きっと。

名付けとは意味付けであり、言いたいこと、考えていることに名前をつけることは意味をつけることでもあり、また逆もいえます。

そういう意味では、「世界は意味で溢れている」ともいえますね。

言語は名前です。「て・に・を・は」も名前ということです。文章のつながりをうまくする、意味を伝えやすくする。そういったことのために、それに必要なものに名前をつけたと解釈しました。

 

「名付ける」は「意味付け」であり、私たちは日々名前に触れ、名前を覚え、名前を呼び、名前をつけています。

こうして眺めている文字も名前ということになります。文字として定義されたものです。「文字」という概念ももちろん名前です。人間がそういったものに意味づけした結果です。

 

おお? つまり人間が今のような文明を持つに至ったのは、「名前」を付ける作業を飽きずに繰り返したからなんですね、この考えの場合。

言語を得たからと言われていますが、言語=名前、ということになりますし。

プログラミング言語もそういう意味付けですかね? 数字は?

2進数、10進数。足し算引き算。

数字も意味づけ。計算も、計算という概念も、方程式も、すべて「名付け」=「意味付け」。

人間は名前をつける天才ですね。つまり意味付けの天才。

これからももっと名前は増えていくんでしょうね。

思考も「名付け」作業なんでしょうね。自分の中にある「何か」に「名前」をつけていく作業なんですね。

考えていて、

「ああ! これはこういうことか!」

となる瞬間ありますよね? アレがまさに「名付け」と言ってもいいので、しょうか?

聞かないでほしいと言われそうですが。

難しいですよね、自分の中にあるものを引っ張り出して思考するのって。

でもハマると気持ちいいです。名前つけるって、快感でもあります。

 

そして私はこれからも「名付け」の作業は行っていくことになりそうですね。ああ、楽しいです。

大して面白くもないことではありますが、人様の退屈しのぎになるなら本望ですし。

 

というところで、今回は終わりたいと思います。

では、縁がありましたら、またお会いしましょう。