人生雑論ノート

その日その時なんとなく思ったことを書き散らすだけの、偏屈ド変人の思考垂れ流しブログ。

働き方改革をバベルの塔建設に変えて考えてみた

人生雑論ノート、今回は私が働かせていただいている会社でも始まった「働き方改革」について。

みなさん「あー」だ「こー」だといろいろなご意見をお持ちの様子。しかし中には、上層部の圧力に負けてやりたくもないのに「改革の中心メンバー」にされてしまった人もいらっしゃる。何という温度差。

ちなみに私も立候補してみました。通りました。でも私は「雑用係」なため、普段から大したことをしているわけでもなく、「直接的」には会社の売上に貢献などしておりません。そんな私が何をするんですかといったところですが、まあ、意見書を書いて提出とか、そんな感じになりそうです。

 

で、遊んでみました。

正確に言うと、私の脳みそが「働き方改革」色に染まってしまい、なんか勝手に変なものを組み立て始めました。

それが今回のタイトルにも書いた「働き方改革をバベルの塔建設に変えて考えてみた」になるわけです。

せっかくの遊びだし、特にこれをこの辺境Blogに載せたところでなにかあるわけでもないので、ここにちょっと書いてみることにしました。

 

でも結局は「働き方改革」についてなので、ものすごく生々しい話にもなるんですよ。

どう生々しいかというと、これを書いている私の「独善的」「独断的」な主張(?)の弾丸になっているところですかね。私のだめなところがギュッと凝縮されているんですよ。

今までの記事もそうなんですけどね。というわけで、あくまでもこれは「思考の垂れ流し」でしかないということを念頭に置いて、軽い気持ちで読んで下さいね。

 

で、バベルの塔です。

まだ人間の言語が今のようにバラバラでなく統一されていた時代、人々は自分たちがバラバラにならないよう、「名」(名誉・名声とかの意味も有り)をあげよう。そのために天にも届く塔を建てようぜ、となったそうです。

で、それに対して怒った神様が、塔を壊したとか、人間の言語をバラバラにして塔を建てられないようにしたとか、そんなお話ですね、たしか。

天まで届く塔なんて造れるわけないという考えから、実現不可能とかいう意味でも用いられるとか。

ちょっと待て私。「働き方改革」=「バベルの塔」=実現不可能ってか。私の脳みそのブラックジョーク具合には参ります。参る通り越して笑いました。

 

で、「バベルの塔建設プロジェクト」ですが、それが「働き方改革」とどうリンクするのかという部分。

「働き方改革」=バベルの塔

塔を作る人間=会社・社会の人々

塔をぶっ壊す神様=プロジェクトに必要な資金・能力・意欲

簡単に言うとこんな感じかと。あと、天=目標ってことでいいですよねこの場合。

目標、高え……。

ちなみに神様は塔をぶっ壊す度に人間の言語をバラバラにしてきます。

本来、一回バラバラにされた時点で造るのやめてるんですが、ここはバラバラにされても頑張ってまたコミュニケーションをとっている、ということで一つ。

もともと私達の住む現代社会、共通言語だろうがなんだろうが、意思疎通には基本的に不自由するもんです。価値観やらジェネレーションギャップやら性格やら何やら、「伝えたいことが1ミリグラムも伝わらないんですけど!」とか普通ですから。

つまりここにおける塔建設ミッションにおいては、最初から言語バラバラを想定すべきですね。

ハードモード? いいえノーマルモードです。だってこれが普通だもの。すべての人々がきちんと意思疎通できる言語とかあったら素敵ですが、古今東西そんなものありません。日本語=日本人同士の完璧な意思疎通ではない、悲哀。むしろ人と話をしていて「言葉通じねえ」現象が何度あったことか。

あ、私だけですかそうですか。

 

まあ、気を取り直して「バベルの塔」を造っていきましょう。神様にぶっ壊される運命ですが。

とりあえず造ってぶっ壊される。土台を強化してぶっ壊される。大黒柱を太くしてぶっ壊される。

ぶっ壊されてばっかりですが、これが通常運転です。相手は神様ですからね。

そしてその度に言語バラバラ現象も起き、コミュニケーションに必死です。進みません、塔建設プロジェクト。

意思疎通の手段やら何やらから始まり、前回の反省点から次はどうするかを決め、そして実行。そして壊される。

ヤダ辛いもうやめたい。そんな声が絶対聞こえてきて暴動、ストライキ、挙げ句の果てには、「こんなことやっていられるか! 俺は違うところに行く!」とか言って出ていく人が続出です。

そしてこれからどうするかを話し合うやらリーダーが色々決定するやらで、とある提案がされたりするかもしれません。

「塔を単純に強化するのではなく、神様が「これ壊したくねえ」っていう感情を持つようなものを造ったらいいんじゃね?」

発想を転換し、塔をオシャレにしてみることに。

そして結局は壊される。

だがしかし、ここでこれからどうするかです。無論コミュニケーションの問題を解決してからですが。

その一「このままオシャレ路線を突き進む」

その二「オシャレにしつつ、塔の強化も進める」

その三「オシャレ路線を捨て、強化に絞る」

造って壊される度にコミュニケーションをやり直し、議論がなされ、ああなったりこうなったりを繰り返して、進んでいるのかそうでないのか、よくわからない神様との攻防が続くわけです。

バベルの塔が「働き方改革」なら、どうあっても進まない、何度やっても茨の道、というデスロードであるという、私の脳みそ解釈のようです。地獄なのか、「働き方改革」。

 

ぶっ壊す神様も色々な要素があるはずですが、大きく分けると結局は上にも書いた3つ。

資金・能力・意欲

新たなシステム、制度導入のためのコスト、それを管理運営する能力、それを成すための意欲。ざっくりとこんな感じかと。

で、この中でも一番の足かせは「意欲」と感じています。結局それぞれの人の「意欲」がなく、「意欲」がないから「能力」が活かせず、そして「資金」問題も「金かかるなんて嫌」になる。

「意欲」がうまくハマれば、以外に解決できる問題も多い気がする「雑用係」です。

 

以前、私が働かせていただいている会社の先輩の話を聞いたのですが、

「「働き方改革」なんて、できるわけない」

と切って捨てていました。個人的には「それはなぜか」詳しく聞きたかったのですが、それは不可能でした。なぜなら、先輩が「できるわけない」と言っていたのは、特にこれといった「意欲」のない、ただの愚痴にほかならないからです。

普段から色々と不満を言うお方がでございました。私は少しだけ「だったらこうしたらいいじゃないか」と言ってみたのですが、意味はありませんでした。

あくまでも愚痴を言いたいだけの人に、解決案なんぞ言っても意味なんかないのです。

多分ですが、具体的な解決案をこちらが提案できたとしても、かえって迷惑なさるでしょう。

よくよく考えたら、この先輩は「現状維持」を求めておられるのです。色々愚痴を言ってこうすればいいのにとおっしゃっておられますが、最終的には変わってほしくないのでしょう。

変革には多大な労力が必要です。そのしわ寄せが来たら嫌という気持ちもあるし、システムが変わるということは、今までやってきた方法が通用しなくなるということです。今までのやり方が通らなくなりまた一からやり直しなど、考えただけでも面倒極まりないのでしょう。その仕事で確立してきた自分の地位、役割が脅かされるということでもあります。

「こうしたらいいじゃないか」といった時、その先輩は職場にいる特定の一人だけを挙げて、「でもそんなことしたらこの人は~」みたいな話になりました。

全体の話をしているのに、なんでそっちに行くんですか? 理屈ではなく、求めていないからでしょう。これはつまり、「そんな提案してんじゃねえよ」という、遠回しなダメ出しともいえます。

 

ちなみに、出張中の電車の中で、PCで仕事をしていたのだけど、人に見られて困る、と言っておられる方もおられたのですが、

「前提からしておかしい。電車の中で何で仕事? そんなときは私は本を読んだりしたいですけど」

とうっかり言ってしまったら、なんか怒りのオーラが発せられました。

「たかが「雑用係」が、出張も大した責任のある仕事もしてねえクソがああああ! 生意気言ってんじゃねえよ!」

こんな心情かと思われます。私もいらないことを言ってしまいました。反省しております。

が、これってつまり「そういうときにでも仕事をするのは普通」思考に飲まれていると解釈できるわけですね。

 

また、会社から配られたPCを使い、子供が寝たあと夜中に仕事。これに対して上司が苦言を呈していましたが、

「会社がこんなものを配るということは、時間外労働を強制しているのと同じだ! 残業が増えるぞ!」

これも前提がおかしいでしょう、と大した能力も責任もない「雑用係」は思うわけです。

夜中に仕事をしていることを心配して、PCに制限を設けるという「労力」をかけなければならない「現状」に対して、誰も疑問に思わない。夜中に仕事をするのはなぜか。そんなに仕事があるのはなぜか。そこまでして仕事をする必要、あるいはそういう意識があるのはなぜか。

会社にいる間に仕事が終わり、そのPCは家で使う必要がなく、よって制限をかける「労力」「コスト」の心配なんぞしなくていいのが一番ですよね。

そして私はまたお叱りを受けます。

「現実が分かっていない! そんな理想論振りかざして何になる!」

僭越ながらはっきり言わせていただくと、その現実と向き合う必要があるのは多分私じゃないです。

 

職場で話をしていると、よく聞こえてくる言葉が「仕方がない」。

私はただの「雑用係」で、売上に実際に貢献している現場のことなぞ知りようもなく、しかし現場の方々とのやり取りも必要となってくる。そして、現場の方々は売上のための直接の仕事に忙殺され、こちらに必要なものが足りなかったりするのです。

現場の方々はその忙しさを理由に、そのくらい勘弁してほしいみたいな空気を出してきます。むしろ、「雑用係」は基本暇で、自分たちは忙しいのだから、みたいな感覚であらせられるようです。実際は結構忙しいですが。

「残業してないでしょ。暇なんでしょ?」

ここから見える「残業」=偉い、「残業してない」=「見下す」図式。

実際、残業している人は偉いという意識があると聞きました。実際、そういう発言を会社の上層部の人がしていたそうです。

自分のための時間を潰してまで会社のために働くことが偉いんかい、という、世間の厳しさを理解していない無責任な「雑用係」の思考回路です。一応、幾つかの種類の職は経験してますが、アルバイトで。

 

ちなみに私は「頭でっかち」な性格らしいです。昔ドラクエ3でそういう性格になりました。他、機会があってやった性格診断でもそういう結果ばかりでます。

私最悪ですね。理論と思考を重視するあまり、人の感情に疎く頑固、融通がきかないみたいな判定。だからこその「偏屈ド変人」であるわけですね。

 

で、ちょっと上の「仕方がない」なんですが、現場はこうだから仕方がない、みたいなところで話が止まるんですよね。で、その先は?

現場によって規模が違う、人数が違う、扱う量が違う。だから、こちらの要求に対してばらつきが出るのは仕方がないし、マニュアルはあるものの、その通りにできないのは当たり前。

ものすごく失礼でバカで怒りを煽る言い方をあえてしますが、それってつまり「思考停止」ですよね、ある意味で。

AIを導入しろとは流石に言いませんが、工夫のしようはないのでしょうかと言いたくなります。いや、AI導入してほしいですが。聞いてると、基本的に単純作業に結構な時間費やしているようなので、それは機械の得意分野でしょうし。そういう単純作業は丸投げしてしまえばよろしいと思うんですが、こうなると問題は「コスト」です。

どんだけ金使うんだ、と言われるわけです。

 

バベルの塔」建設の一番の難敵は「神様」です。そしては私は記事の初めの方で神様を「資金・能力・意欲」であると書きました。

上記した諸々こそが、たぶんこの「神様」です。あれらの話を聞いたりしているうちに、

「この会社で働き方改革は難しそうだな」

とひしひしと感じました。

あ、いらんこと言って人を怒らせたのは私自身の責任ですよ、当然のごとく。

 

バベルの塔」を建設するにあたって、一番の難敵である神様ですが、そもそも大事なのはおそらく、

「なぜ、塔を建てるのか」

という目的意識だろうと思います。

「人々がばらばらにならないように、名を上げよう」というのが「バベルの塔」を建てる際の目的意識だったようですし、ノアが船を作って難を逃れた大洪水に対する復讐とかいう説もあるらしいですね。他にもあるみたいですが、よく知らないのでやめときます。

で、「バベルの塔」=「働き方改革」なわけでですが、この目的意識はどこにあるのかですよね。

「目的意識」は「意欲」に直結します。上記の話から考えて、「なんとなくやろう」みたいなものでは神様に勝てないわけです。

ノアの箱舟エピソードの大洪水の復讐とかなら、凄まじい目的意識といえますよね。天に届く塔を造って喧嘩ふっかけようなんて、並々ならぬ決意です。神様がどういう存在か、分からないわけではないのに。世界規模の大洪水を起こすような存在相手に、戦いを挑むそのガッツ。人間すごいです。結局言語バラバラにされましたけど。

これほどの目的意識を持ってしても神様にぶっ壊されるんですから、そりゃ「働き方改革」も並々ならぬ決意でやらないと神様にぶっ壊されて終わりです。

正直な話、ぶっ壊されて言語バラバラにされて、それでも何度もチャレンジできるほどの意欲があるとは思えないんですよね。

 

「今」うまく回っている。だからこのままでもいいじゃないか。

こういう意識があるんだと思います。「雑用係」な私としては、これが足りないアレが足りない、これの提出が遅い仕事進まねえ、な状態は御免こうむるのですが。こういった事態のせいでタイトなスケジュールになるんですよね、ただでさえ普段からタイトなのに。

仕事の前倒しができればいいのですが、そうは問屋がおろさない仕事が基本的に多いといいますか、8割、9割型「待ち」が必要な仕事なんですよね、どうしても。

そして提出してもらっても「これができてない!」ってことで、連絡を入れたりしないといけないわけです。

私は諸事情から電話ができませんので、他の方が電話なさいます。そして要望を伝え、レスポンスを待つわけです。

私は電話しない代わりにメールをフル活用するのですが、メールに対するレスポンスが悪いんですよね。メール見ない方が多いようで。堂々とメールなんか見ないとおっしゃっている方もおられますし。ちゃんと連絡を返してくださっても、やはりメールを打つ時間は無駄ですし。

それが毎回毎回、その仕事をする度に同じようなことになります。向こうはこのままでも、不備があったらこちらが連絡を入れるのをよくご存知です。そのときに言われたとおりに直せばいいや、という意識がものすごく見えます。その一連の流れがコチラにとっても向こうにとっても、結局すごく無駄なんですが、あまり理解していただけません。

「忙しい」を理由に手を抜いて、結局この無駄なやり取りに時間も労力も割かれるのです。この一連の作業がなければ、どれほどのムダ削減になるのかと思うと、ちょっと、いやかなり遣る瀬ないです。

 

「働き方改革」における大事な精神って、このあたりなのかなあ、と思います。

「無駄」の線引の問題なんですよね、ある意味で。そればかりではないんですが、無駄の洗い出しって、業務改善においてはおそらく真っ先に着手する部分でしょう。しかし、ほんのちょっとしたやり取りの無駄って、基本後回しにされるというか、無視されると思うんですよね。

現場は忙しい。現場で直接売上に貢献しない裏方は、忙しい現場のためにサービスする。

いやいや、それ聞いた時耳を疑いました。本気で言ってるのか、と。

つまり「現場至上主義」。直接的に売上に関わっている人間が偉い、関わっていないやつは現場のために文句言わず黙って言う通りにしろ。

私大した能力も責任もない「雑用係」ですが、一応、自分の仕事に関しては全力でやるように努めております。現場の方々のための仕事はたくさんあります。

同じ会社に努めているのに、現場か否かでこの違い。自分の仕事否定されて嬉しい人はいませんよね。私はこの記事で、「AI化しろ」みたいなこと書いてますので、ある意味においてはその仕事の否定になってしまう形になるように思えますが、「現場至上主義」の考え方と「AI化」の理論では、根本的に違うわけです。

 

バベルの塔建設」で考えてみましょう。

「現場至上主義」の場合、塔の建設に直接関わっている人たち、大工さんたちなどが偉い、それ以外は偉くないとなります。

そして、大工さんたちのためにご飯を作る人たちがいると仮定します。そんな食事係の人達に、現場で頑張っている大工さんがこんな言葉を投げかけてしまったとしたら?

「俺達は毎日頑張って塔を造ってるんだ。そのためにお前らが毎日美味しい食事を作るのは当然だろ」

で、怒って食事を作るのを放棄したら、怒られるのは食事係の人たちなわけです。

食事係の人たちの労力はこの場合全無視されております。

が、大工さんが仕事をしやすいように、重いものをよりスムーズに動かせる設備を用意したとします。あるいは、いちいち道具を運ぶ手間を省く装置、自動的に石材などを所定の位置に設置する装置などです。

これらの装置を設置するのが「AI化」に相当します。便利ですよね。細かい調整などは大工さんたちがする必要があると思われますが、かなりの労力削減になるはずです。

 

「働き方改革」において大事なのは、個人的には「意欲」だと思っております。しかし上記のように、同一目的の集まりであっても「意識」に差があると、おそらくうまくいきにくいです。

これこそが「バベルの塔建設プロジェクト」における最大の難敵「神様」の伝家の宝刀、「言語バラバラ現象」です。所属している集団の違いによって「言語」が変わるわけです。

「言語」=「コミュニケーションツール」なんですが、「言語」とはすなわちその「言語」を扱う人にとっての「思考ツール」でもあります。人間は「言語」によって思考します。

バベルの塔建設プロジェクト」において、大工さんたちと食事係さんたちの「言語」は全く違うというわけです。根本となる思考、つまり「意識」が違うからです。

「意識」が違えばその「思考ツール」である「言語」が変わり、よって「コミュニケーション不全」が起きます。

同じ日本語なのに「言葉通じねえ」現象が起こるわけです。

 

「現場」は忙しいから売上に直結する仕事以外は手を抜きたい。

「裏方」は「現場」がきちんとしてくれないと仕事ができず、最悪会社運営に必要な業務がストップする。

そして、「現場」「裏方」ともに、じつは恐ろしいレベルで「無駄な作業」がある。しかし、その「無駄な作業」を是正しようとしてもできない、あるいはしようと思わない何かがある。

「無駄な作業」自体に生きがいを感じている人がいる。「無駄」を「無駄」だと思わず必要だと信じて行う人がいる。「無駄」だからしたくないと思っても、やれと命令されてやらざるを得ない人がいる。

ではその「無駄」を維持しつつも、よりスピーディに、より安易にできる方法を探す、行うといったこともしないわけです。

なぜかというと、知識がないからです。知識がないなら調べればいいようがきがしますが、それもしない、あるいはできないわけです。

結果、個々の業務を個人の裁量に任せすぎていて、その人個人のやり方を良しとしすぎて、「業務のガラパゴス化」が起きている場合が多い、となるわけです。

業務の平準化をしてほしいと切実に思う「雑用係」なわけですが、「現場」によって「規模・人数・量」が違うから無理と言われて轟沈するに至りました。だから「AI導入してくんねえかな」などと、何も分かっていない「雑用係」は安易に考えるわけです。

 

「働き方改革」とは、こういった問題に真正面から突撃することを指します。まさに「大洪水を起こした神に対する復讐」なみの闘争心を持って当たる必要があるわけです。

バベルの塔建設プロジェクト」における「神様」は、「働き方改革」においては個人個人の意識そのものとなります。「言語バラバラ現象」という伝家の宝刀もまた同様なわけです。「神様」が「言語バラバラ現象」を起こすのは日常茶飯事であると考え、それでもなお果敢に立ち向かう不屈の精神が必要となるわけです。

しかし、日本人は「和」を尊ぶ民族。時には比喩でもなしに殴り合いの喧嘩をして意識の溝を埋め、妥協し、三歩進んで二歩下がりながら行っていくことができるのか否かです。

ある程度成功している日本企業は有りますが、日本における「横並びの精神」は馬鹿にできません。

業務を個人の裁量に任せつつ、変なところで「和」を大事にする、つまり「横並び」であることを要求する伝統的日本企業において、非常に難しいミッションなのです。

 

「働き方改革」が成功したらより一層働きやすくなり、うまく行けば利益も増えるんじゃないかと期待する一方、成功しそうにないなあ、という諦めの境地に早くもなってしまっていて、真剣に悩む「雑用係」です。

「無駄」が減ったらそこに費やしていた「労力・時間・資金」がある程度浮きそうなものですが、システムの導入具合でそうでもなくなるのか否か。そも「無駄」洗い出しの作業自体を嫌がる人が多そうだなとも感じます。

 

 

「働き方改革」=「バベルの塔

「天」=目標

「塔を造る人間」=会社・社会の人々

「塔をぶっ壊す神様」=プロジェクトに必要な資金・能力・意欲

 

「塔を造る人間」=「塔をぶっ壊す神様」⇒個人個人の意識

造る人とぶっ壊す存在がイコールだなんてそんな、という感じですが、私の頭のなかでできたのがこの図式でした。

正直な話、こういった非情な内容が私の頭のなかでの他愛もない妄想でとどまり、現実はそうではないことを願います。

大丈夫ですよ、私基本的に心配し過ぎのところがある人ですから。

 

まあ、そんな感じで、今回は終わっておきます。

では、縁がありましたら、またお会いしましょう。